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「他人の目を気にする」とはどういう意味か?

今週の月曜日にアップした「他人志向性テスト」は、もともと「対人志向性」という研究にもとづいたものです。非常に強く興味を持ったという人へ、以下にURLを挙げておきますが、学術論文(英語)です。

Development of a Scale of Interpersonal Orientation
http://eric.ed.gov/ERICWebPortal/custom/portlets/recordDetails/detailmini.jsp?_nfpb=true&_&ERICExtSearch_SearchValue_0=ED192237&ERICExtSearch_SearchType_0=no&accno=ED192237

ネタバレになってしまいますが、月曜日の「他人志向性テスト」では「はい」は全て「他人志向的であること」を意味します。読んですぐそれと分かる設問が多いものの、一見したところでは、少々わかりにくい設問もあったでしょう。

このテストスコアが高かった人は、他人をとても意識しています。人の輪の中で、挙動、言動、所作などあらゆる行動をとる際に、他人のことが意識に入ってしまうので、社会的な不安にさらされやすく、批判にも当然敏感です。

設問2 盗品かもしれないと思えるものは絶対に買わない

などに、そうした態度を計る設問があります。「他人の目」とは、自らの心の中にあるものなのです。人間の心は、高度な社会性を帯びているため、「他者イメージ」なくして構成されません。したがって私たちは、多かれ少なかれ、「常に他人の目と共に生きている」のです。ただしその「目のイメージ」が強い人と弱い人がいます。それがとりもなおさず、「他人志向性」の強弱となって現れるのです。

「他人」は「常に」私たちの動向を「見て」います。自分の心の中のイメージなのですから、当然です。信仰心の強い人であれば、その「他人」は「神」になるかもしれません。これはフロイトが「スーパーエゴ」の概念を発明して以来、心理学的にはむしろ自然に認められます。

「私は他人の目など気にしない」と表明している人は、「強弁している」のかもしれないし、「事実を述べている」のかもしれません。前者であれば、「他人志向性は強いのだが、そのストレスから脱却したい」という意味であり、後者であれば、「私の中の他人の目がぼんやりしているせいで、私はよく無礼を働くが、許容してくれ」という意味かもしれません。

また、「他人の目が心の中にあるということは、ある程度は必要なことだろう」と述べる人もいます。これは社会的モラルの必要性について述べているのであって、その視点をとる限り「ある程度」必要だというのはいうまでもありません。

ただ、「他人の目」が心の中にみじんもない、ということは、人間においてはそもそもあり得ないことで、適切に機能すれば社会的モラルのために有益ですが、不適切に機能した場合、「心の中の他人の目」が、人をして犯罪に向かわせる可能性も、あわせて意識する必要があります。