心理ハック
人はなぜ飽きるのか?
- 2010年01月20日 (水)
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私自身が扱うテーマとしては、もう本も書いたもので、気持ちの上では「やりきった」テーマなのですが、だからといってそれが広く知れ渡っているというわけでもないので、もう一度整理してみます。
収穫逓減の法則
一杯目のビールはおいしくても10杯目にはおいしくなくなる、といいます。これはひとつのたとえ話で、もちろん10杯目でも50杯目でもおいしく飲める人はけっこういますが、とにかく欲求というものは、満たされるたびに弱くなっていくというわけです。
生理的欲求がそうなのは当然として、精神的欲求までもがそうなのが、人間の面白いところです。高い絵画を買ってきた日は、壁に飾られた絵を「おお〜!」と眺めているものの、3年も経つと、飾ってあることを忘れかけてしまいます。PCの壁紙がこんなに用意されているのも、この辺に理由があるのでしょう。
心理学でこれを説明するなら、「心的飽和」の概念が近いでしょう。脳科学では「報酬系」という言葉がよく使われますが、その経路が本当のところどうであるかはともかく、繰り返される快適な刺激はやがて大したものとは感じられなくなるようです。
この辺のことを私自身は、『夢中の法則』(マイコミ新書)という本で徹底的に論じましたがアマゾンレビューなどの評判は芳しくないようです。脳科学者ではグレゴリー・バーンズが『脳が「生きがい」を感じるとき』で詳細に論じています。テーマはほとんど重なっています。
満足と挑戦の狭間
心理学には「心的飽和」の他に「馴化」という概念があります。これは「飽きる」のではなく「慣れる」のです。「飽き」は快感がだんだん薄まっていくものですが、「慣れ」は不快感がだんだん薄まっていくものです。我が家の乳幼児は夜泣きして、私も最初は眠れませんでしたが、今では隣でグウグウ寝ていられます。
慣れも飽きも、記憶の副産物でしょう。私たちはどうやら「飽き」に達することで、「新しい刺激」を目指すように仕掛けられているように思えます。もっとおいしいものを食べたくなり、もっと刺激の強い関係を望み、もっと高性能のパソコンが欲しくなる。この辺りのことを指摘した生物学者がライアル・ワトソンで、そのテーマを扱った著作が『』です。
そう考えてみると、どうでしょう。私たちは「もう飽きたこと」と「まだ手がつけられないこと」の狭間に置かれることになりそうです。易しい本を全部読んでしまったら、難しい本を読む、というわけです。でも、時間が足りなかったり、面倒くさかったり、お金がなかったりします。そこでとりうる態度は、ふたつに分かれるのです。
・得ているもので満足しよう——幸せとは、満足することだ
・もっと上を目指そう——その先にこそ、幸せが待っているのだ
もちろん、どちらの意見にも一理あるのです。狭間に置かれている人には、両者から勧誘の電話がかかってくることでしょうが。
▼心理ハック 満足するか、挑戦するか、決めなければならない