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「目先の利益」にとらわれず「長期的利益」を選択するための科学的知識

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タイトルの具体的な事例として、たとえばダイエットが挙げられます。「目先のチョコレート」にとらわれず、「3ヶ月後の脚線美」を手に入れるために、科学的知識を使いましょう、という話です。

この話、理論は非常にシンプルなのですが、「自分のものにする」のはなかなか困難です。たとえば世の中には「禁煙」という大問題がありました。これなどはまさに、「目先の利益」対「長期的利益」というテーマに合致する事例ですが、私の父などな「いかに禁煙が難しいか」と延々ととくのが大好きでした。(そう見えました)。

しかし、今振り返ってみると、父はいとも簡単に禁煙できています。意志が急に強くなったのでしょうか? それとも、電子たばこのようないいツールが見つかったのでしょうか? どちらも本当らしくないとすれば、本当の原因とは何だったのでしょう?

目先の利益がおいしい理由


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目先の利益に目がくらむ理由は非常に簡単です。今すぐもらう1万円は、1年後にもらう1万千円よりも、価値が高いと見なすもっともな理由がいくらも考えられるからです。

だいたい、1年後には生きていないかもしれませんし、お金をくれるという側の状況が変化するかもしれません。これは人の世界よりも、過酷で信頼の置けない自然環境において、いっそう当てはまることです。

だから野生の生物こそ、「目先の利益」に従って生きています。そうした方が、生き延びられる可能性が、自然の環境では高いのです。長期目標を優先し、刹那的な衝動を抑える(すなわち、過去の自分が決めたルールを、現在の衝動に優先する)のが有利に働くのは、文明の発達した環境下での話です。それですら、いつでもそうとは限らないのです。

目先の利益に打ち克つ方法


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このブログの性質に従って、「心理的に」いきますと、こうした目先の利益に向かいがちな衝動を克服するには、「解釈をいじる」ことです。

実際、人はたとえば仕事の先送りをするにしても、一瞬程度のためらいはあります。「先送りしたいけど、今すぐやった方が…」くらいは思うわけです。そして、このためらいは、いろいろな文脈の中で行うことができるでしょう。

・今すぐ仕事をするか、明日やるか?
・今すぐ仕事をしてスッキリするか、明日までぐずぐずと引き延ばすか?
・今はとりあえずこの仕事をやめにして、明日元気なときに一気に片付けるか?
・今とりあえず5分だけやってみて、残ったら明日に先送りするか?
・この仕事はとりあえず放っておいて、まずい事態になるまで様子を見るか?

このように可能な解釈をいろいろ検討してみることによって、「今すぐやる」方がトクになると信じられる視点を見つけられることがあります。これが「目先の利益に打ち勝つ方法」です。

今すぐ1万円をもらうのと、1年後に1万千円をもらうのとを比較しただけでは、今すぐ1万円をもらった方がいいと感じてしまうのも自然でしょう。ですが、この話を1万個同時に持ちかけられたら話は違ってきます。今すぐ1億円をもらうのと、1年後に1億千万円をもらう比較に変わるからです。

「目先の利益」と「長い目で見た利益」と言っても、どちらの表現にもかなりの幅があるので、解釈のしようで、感じ方は大きく変わってきます。自分に納得のいく「物語」を編み出すことによって、「長い目で見た利益」を確保する方を、情動的に選択できるようにしよう、というわけです。

バタフライ効果のような「意志力」


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この「物語を変える」とか「文脈を変える」というやり方は、いかにも文系的で、ソフトな方法論に見えるので、どうも効果が上がりそうにない、と感じられるのですが、禁煙やダイエット、そのほか長期的目標を達成した人の体験談には、共通して独特の「頼りなさ」があると、私はいつも思っていました。

父の禁煙は好例でした。父はいわゆる「鉄壁の意志力」が好きな人で、何かにつけてそれで物事を成し遂げようとするくせに、禁煙だけはなぜやれたのか訊くと「いや、ただやめられたんだよ」としか言わないのです。こう聞くと、さも簡単に止めたようですが、母に訊くと父は典型的な禁煙失敗者で、「禁煙!」と張り紙しては三日ではがすというタイプの人だったようです。

そんな父が自分でもうまく説明できない理由によって、10年以上やめられなかった喫煙がやめられた。そしてそういう経験は私自身にもありました。受験勉強で英文の読み方をマスターしたことと、留学で心理学部を卒業したことと、砂糖とアルコールを7年以上断絶できるようになったこと。

いずれも長期にわたって「目先の満足をはねつける」必要があったのですが、振り返ってみて、なぜそれができたかと考えると、主として偶然、それから上手な物語を自分に語ることができたから、としか答えようがありません。「鉄の意志」が好きな人には悪いのですが、意志力は関係なかったのです。あるいは、物語を変えてみることを、意志力と言うしかありません。

そのように「意志力」を考えてみると、意志の力とは、バタフライ効果のようなものに見えてきます。ある物語でちょっとした試みがうまくいくと、そのうまくいったことが原因となって、しばらくはその試みを成功させ続け、その成功の連鎖が、いつしか不可能を可能にするほどの推進力となってくれる。

だから私などは、最初の頃、なぜシュークリームやらバナナを片端からはねつけることが、急にできるようになったか、思い出せなくなっています。しかし、あるとき急に、「そんなものはどうでもいい」という心境になり、いつしか、「クリームをなめるには、相当の意志がなけれむしろ不可能」になっていました。今ではなぜ、父が、「いや、ただやめられたんだよ」などと言うのかがよくわかります。