心理ハック
053 ライフログで「忘却」をコントロールする『たった一度の人生を記録しなさい』
嬉しいことがあれば、忘れないために書く。
嫌なことがあれば、忘れるために書く。
書くことで、良いことは忘れないし、嫌なことは忘れられます。(p30)
ずいぶん都合のいい話に聞こえます。
これは本当でしょうか?
本当だとしたら、どうしてでしょう?
どうして「忘れる」ことが意のままにならないのだろう?
ポイントになっていることは「書く」ことと「忘れる」ことの関係についてです。どうも私達の頭脳というのは時に不都合な働き方をします。
「忘れたいのに・・・」(失恋した相手のことなどについて)
「覚えたいのに・・・」(英熟語などについて)
という嘆きはあちこちで頻発しています。今この瞬間にも悩んでいる人がいることでしょう。
私達にくっついている頭は、私達のために働いているのであって、「人生の厳しさ」を教えようとしているわけではないと思います。だから本来「忘れたい」ことは速やかに忘れるべきだし(消去)、覚えたいことは即座に頭に入るべき(記銘)でしょう。
そういう風に機能しないのは、不思議なことです。少なくとも不思議だと疑ってみるに値します。
「忘れる」ことがコントロールできないのです。これが不思議なところなのです。
そもそも「忘れる」とはどういう事なのだろう?
「不思議な不思議な池袋」は「西武」デパートが「東口」に、「東武」デパートが「西口」にあります。
この「知識」は大変便利です。都内大半の駅で道に迷う私が、池袋でまったく迷わなくなったのは、この知識を仕入れた以後のことです。
抽象化の価値はここにあります。都心の大きなステーションは、やたらと激しく変化します。店は変わるし人はたくさん歩いているしもちろん記憶は定か出ないので、具体的な目印がなかなか役に立ちません。
しかし「西武は東」というほぼ不変の、したがって非常に抽象化しやすい「陳述」(「池袋では西が東」)知識が一度頭に入ってしまえば、他のやたらと変化する具体的な事実(「年輪屋が新しく池袋にできたね」)など、全部忘れてしまってOKです。
「年輪屋が池袋にできた」ことは具体的で写真に撮れます。こういうのを覚えておくことを「エピソード記憶」といいます。情報量が多く、変化することも多い、非常に忘れやすい事柄です。
動画をHDDに入れるようなもので、脳の負担が大きいため、脳としてはさっさと「削除」したいのです。
一方で「西は東」というのは写真に撮りにくいわけですが、情報量は少なくしかも変化しません。この種の記憶は「意味記憶」といいます。
五藤さんが今回お書きになった本のキーワードになっている「ライフログ」とは、「エピソード記憶」を「記録」してしまおうという試みのことです。エピソード記憶は、頭の中で意味記憶化されるときに、大幅に情報処理されて、おそらくは消去されるか衰退してしまうのです。
「昨日の夕飯、思い出せますか?」というCMが流行ったことがありました。(p19)
おそらく、難しいでしょう。「夕飯」の中身はエピソード記憶ですから、睡眠時に意味記憶化されて、大半の情報は想起しにくくなっているのです。でも「昨日夕飯を食べた」(一昨日も、その前の日も、たぶん一年前の今日も、食べた)という「意味記憶」は簡単に思い出せます。
変化する具体的事実は思い出しにくく、不変に近い抽象的事実だけが頭に残っていくわけです。
嬉しいことはエピソードで思い出したいし、嫌なことは意味記憶にして対処したい
やっと冒頭の本題に戻ることができます。もう一度引用しましょう。
嬉しいことがあれば、忘れないために書く。
嫌なことがあれば、忘れるために書く。
書くことで、良いことは忘れないし、嫌なことは忘れられます。(p30)
なぜこういうことが可能か?
だいたい明らかになってきたと思います。
「記録に残すことで、嬉しいことを覚えておく」方は簡単です。一手間かける、言語化することで頭に残りやすくなる上、記録はエピソード記憶の内容そのものですから、これをあとから見返せるようにするわけです。
「記録に残すことで、嫌なことを忘れる」ほうは、ちょっと難しい。これは「筆記療法」のテクニックでもあるのですが、エピソード記憶も記録に直すうちに「意味記憶」化していきます。そもそも「意味記憶」とは「言語で表記できる」ということですから、言葉で書くことが「意味記憶化」に近い作業なのです。
私達の脳には「具体的な嫌な体験に対処する方法」を厳密には知りません。具体的な事件には初めてぶつかっているからです。この世にまったく同じことが二度起こらないことを考えると、そうなります。
しかし「嫌なこと」という抽象的な事件に対しては、対処したことがあります。ちょうど池袋が大幅に改築されても、「西武は東」なことに変わりなく、その点にのみ注意していれば道に迷わないのと一緒です。
「さっき遭遇した嫌なこと」への対処方法を知らなくても「嫌なこと」への対処方法は記憶にあります。「イヤな気分」への対処の仕方も脳が覚えているでしょう。20年くらいのデータベースがあれば、出てくるはずです。
つまり、忘れてしまいたいことがあったら、さっさと意味記憶化するべきなのです。忘れるということは、意味記憶化するということなのですから。