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タスクリストは「合理的な命令書」

特別な趣味でない限り「命令が好き」という人は少ないでしょう。だから私は「タスクリスト」というものがそれほど好きではありません。その全てがではないにせよ、少なくともそのうちのかなりのものは「過去の自分が同意したために今しなければならないこと」になっているからです。

GTDにも「次にすることを明らかにする」という命題があります。私もこれに同意です。およそタスクリストに「選択の余地があふれている」というのは好ましい状態ではないと思います。どんなに選択の余地があっても「どれもやりたくない」という時には意味がないからです。

むしろタスクリストというのは合理的な命令であるべきです。

「今これから2時間かかるうんざりするようなタスクに手がけたとしても、その結果定時退社できるわけでも素敵な誰かが褒めてくれるわけでもない。にもかかわらず今すぐそれをやるのが最善である。疑問の余地はまったくない」。

こうでないと私はそんなタスクに手がけるとはとても思えないのです。

・今すぐドーナツを食べながらコーヒーを飲むのOK
・新しい映画を誰かと一緒に見に行ってもいい

・ところで「2時間かかるうんざりするようなタスクに手がける」という選択肢もあります

この状況でタスクに手がけることを選択するには相当の「意志力」が必要です。いつもいつもそういう精神力に期待して仕事するというのは、とても危なっかしい感じがします。

「命令書」は自分で作り、その合理性を明らかにする


ただタスクリストは「命令書」であるべきだとは思うのですが、その「命令書」を作るのは自分でなければなりません。これが本当の命令書になってしまうと人は「選択権がなくなった」と感じて意欲がくじかれるのです。これはふつうの心理学の教科書でよく指摘されていることです。

「次は時間をかけてでもこのタスクに手がけること」というのは、他に選択の余地はなく、しかし自分が考え抜いた結論でなければなりません。他のことも気になるというようだと「どれもやりたくないけどやらなくてはいけない」という「豊富な選択肢」のせいで時間ばかりが過ぎ去ります。

タスクリストにある「今すぐやること」「次にやること」は選択の余地なく実行処理しなければならない必然性をまとっていなければいけませんが、同時に「それを選択したのは自分だ」という感覚が必要なのです。