心理ハック
想起から検索へ
GTD、それからEvernoteというサービス、そしてiPhoneやiPadを「使いこなせるかどうか」のポイントとして私がいま真っ先に強調したいのが、「想起」にこだわるのをやめて「検索」に向かえるかどうかだということです。
新しい手帳を買っても、iPhoneを買っても、Evernoteを使い始めても、それらの利用が中途半端なところに留まってしまう。中途半端なところとは、メタ記憶の及ぶ範囲内のことなのです。
メタ記憶とは、記憶の記憶のこと。詳しく言うなら、「あ、あのことは手帳に書いてあったな」という記憶のことです。内容はともかく、「手帳に書いたという記憶」はあるというわけです。
ありきたりな手帳の使い方をしている人は、これ以上のことが手帳に書かれていないのです。あるいは、これ以上のことを手帳にになわせようとしないのです。ここまでであれば、デジタルツールを使う必要はなく、アナログのツールでいいのです。
デジタルに頼りすぎると脳がダメになる、という話に飛びつきたくなるのは、このレベルのツールしように留まっているからです。メタ記憶の及ぶ範囲以上のことを思い出す気がないのであれば、メモも予定管理もアナログツールで十分です。
しかし、メタ記憶の及ぶ範囲から外へ出て、頭の中にあるかどうかが不明のことまで思い出したければ、デジタルツールに守備範囲を広げなければなりません。Lifehacking.jpのが「システムへの信頼」とよく言っていることはまさにそうしたことです。
Evernoteに記録したかどうか、Toodledoに入っているかどうか、などということすらさっぱりわからなくなっているけれども、探せば見つかる、探さなくても必要なタイミングで現れてくれる。そういう体験を繰り返すことによって、初動が想起から検索へと移るわけです。
21世紀以後、マインドの使い方は、想起から検索へといった環境による変動を前提としていくと思います。
タスクシュートに「セクション」が必須の理由
「あらゆるタスクの時間が見積もってあって、その見積もり時間がほぼ正確であり、しかもその日、その週にやるべきタスクがすべて書き出してあるのなら、1日を8つのセクションに区切り、タスクにセクションという情報を与えるのは、余計なことではないですか?」と尋ねられたことがあります。
つまり、1日のアクションに必要なたとえば「16時間34分」という情報があれば、それで事足りるのではないか、というご指摘なのです。
一度でもタスクシュートを実際に使ってみると、そうではないことがわかります。なぜなら、アクションによって、時間帯を全く問わないアクションと、時間帯と密接な関係にあるアクションとがあるからです。
「約束」のためにセクションがいる
なにより、「約束」というアクションがあります。人と会う約束や、Skypeで話し合う約束。つまり、開始時刻が決められてしまっているタスクです。
これは相手あってのことですから、開始時刻を勝手に変えてしまうわけにはいかないでしょう。私が独裁者であればいいのでしょうが、午前10時から池袋で、と言っておきながら、「今日は気分的に夜の10時にします」というわけにはいきません。
「約束」という行動は、時間帯を問うばかりか、厳密に時刻を決定してしまいます。「優先順位」などとは関係なく、とりあえず「午前10時」なら「セクションB」に入らざるを得ず、他のセクションに動かすことは許されないタスクになります。
休憩タイムにセクションが必須
もうひとつ、一度タスクシュートで決まってしまえば、めったに動かす必要がなく、動かさない方がいいのが、「休憩タイム」に関するセクションです。食事はその中でも典型的な行動。
いかに、「今日は6時間まるまる原稿を書くぞ!その間に邪魔は入れないぞ!」と決断としても、だから、セクションA(8−10時)に朝食を食べて、セクションB(10−12時)に昼食を食べて、セクションC(12-14時)に夕食を済ませてしまってから原稿を書くのだ!とやることはあり得ません。
一定の間隔で実行しないと、ほとんど意味のなさない行動というものがあるのです。セクションの意義は、ある意味ではアクションと休憩の関係に見いだせます。タスク、約束、休憩の関係は、心理状態とも関係して、非常にとらえにくいものです。
私が最終的なタスクの調整を、当日の朝にやるのはこのとらえにくさから来ます。実際にやろうとしてみた気分や眠気などまで考慮しないと、どのタスクをいつ、どのくらいで片付けられるか、読み切れないのです。
これが「1日を複数のセクションに分ける」ことの意味です。もちろん、2時間の中で6つのタスクを処理する方が、16時間の中で50個のタスクを処理すると考えるよりも、考えやすいということもあります。いずれにしても、1日という大きな区切りで、全てのタスクを並べて対処するというのは、現実的ではありません。
最後に追記しておくと、そこまであらゆるタスクの時間を見積もってあるのなら、タスクシュートではなくGoogleカレンダーでも同じことができそうだ、と言われることもあります。つまり、すべてのタスクを予定にしてしまうというわけです。
そうやることもできるかもしれませんが、タスクシュートとGoogleカレンダーは、別のものです。Googleカレンダーではすべてのタスクの開始時刻が決まってしまいます。
すると、もしもあるタスクを開始時刻になっても手がけなかった場合、そこでまた並べ替えをしなければなりません。タスクシュートであれば、その並べ替えを自動でやってやってくれます。また、Googleカレンダーだと「隙間時間」ができてしまいますが、タスクシュートには「隙間時間」に相当する概念がありません。私には、後者の方が仕事を進めやすいのです。
お手本をまねる
自分でも簡単にできそうだと思うことは、とりあえずやってみればいいと思いますが、自分には難しいと思うようなことは、お手本をまねるのが近道です。
本書に登場する「ブライト・スポットを見つける」ということの意味は、要するに「お手本を探す」というだけのことです。イメージの中では難しそうに思えることでも、すでにやれている人がいるのを見れば、できそうに思えるものです。
恐怖を克服する
「手本」というテーマを取り上げると、やはりスキルアップ系の話だと思われそうですが、私が「手本を探す」という話でぱっと思いつくのは、「恐怖を克服する」ことです。
たとえば私はジェットコースターが大の苦手です。あの、胃の浮くような感覚が耐え難い。が、どうしても乗らざるを得ないケースというものがありますね。いまはありませんが、デートとか。
「いいふりこくのをやめればいい」というライフハックを選択できないとした場合、自分でやって一番効果があったのは、「ブライト・スポットを見つける」ことでした。同じコースターに乗る幼児を探すのです。
「とにかくあの子が大丈夫なんだから・・・」というわけです。誰かにできるということは、同じ人間である以上、自分にもできるというのはちょっと無理があるのですが、やはり具体例があるのとないのとはちがいます。
この方法は、歯医者さんの恐怖と闘う場合や、水に入る恐怖と闘う場合にも、かなり有効だと思っています。
「No」と言えない6つの心理
Zenhabitsの記事をもとにしています。もっともこれは、Zenhabitsのみならず、心理学、コミュニケーション学に同じような「問題と解決案」が呈示されてはいます。
「No」が言えない心理には確かに、ある種の家庭・教育環境による強い影響が感じられ、単純に言えば「間違った観念」が感じられます。ただしそれを多くの場合「ノーが言えない人」は自覚していて、なかなか脱しきれないでいるのです。
Zenhabitsの記事にも「ノーを言う7つの方法」が呈示されていますが、この記事を読む人の多くはこれを「わかっているけどできないんだよね」と内心感じるでしょう。が、それは「ノーを言えない心理の間違い」が本当にはわかっていないのです。
何が間違った信念なのか。それを一つ一つ見ていきましょう。
1.人を助けたいと思っている
これは、間違った信念ではないと思います。ただし、自覚すべき心理です。
「ノーを言えない」のは、人を助けたいと内心では思っているから。これはあり得ます。もちろんいいことです。でも、「偽善グズ」に陥らないように気をつける必要はあります。
「偽善グズ」とは、自分の仕事をやりたくないから、他人の仕事を手伝うことで、自分の時間を亡くしていってしまうことです。心理学的にはセルフ・ハンディキャッピングの一種とみなすことができそうです。
2.無礼になることを怖がる
これは間違った信念の1つです。
「ノーを言う」=無礼である、というわけではないからです。が、父母の頼みにノーを言うことがほとんど許されなかったような家庭環境に育った場合、「ノーを言うこと」=非常に悪いこと、と感じて不思議はありません。
この信念を持っている人は、もう一つ気をつけるべき問題があります。「ノーを言われること」を過度に恐れることがあるのです。すごく無礼にされることを望む人はいません。「ノーを言うこと」=無礼であるという信念が行き過ぎれば、人にものを頼むことができなくなるでしょう。
3.愛想のよい人になりたい
これは2と見分けがつきにくいものの、間違った信念ではないと思います。
2はとにかく非礼のないようにしたいという、何かを回避している印象ですが、3は積極的なものが感じられます。人好きのする人になりたい。人気者になりたい。
いつも人のリクエストに応え、約束を果たせば、そうなることもできそうです。いいことなのですが、度を超さずにおくのは難しい。どこかで「ノー」を言えるようにならないと、いかなるリクエストも完全には果たし得なくなります。
4.人を怒らせたくない
「ノー」と言えば誰もが怒る、というのは間違った信念です。この信念はぜひ、改めなければなりません。
私も長いことこの誤解にとりつかれていたのですが、第一に自分自身がそれなら「例外」になってしまいます。私は人に頼みを却下されても、怒るわけではありませんので。
2の「無礼になることを怖がる」のと、4の「人を怒らせるのを恐れる」のはどう違うのかというと、「無礼に振る舞った」からといって、相手が怒るとは限らないから異なるのです。
「怒らせたくないからノーを言わない」という人は、よくよく考える必要があります。これは事実に反していますが、そのことを体験するまでは、確信が持てません。「ノーを言う」までは、「ノーを言っても怒られない」という体験ができないのです。
ただ、「ノーを言う」と怒り出す人も実際にはいますから、決して簡単な話ではないのです。あくまでも私の経験では、80%以上の確率で「ノーを言った」だけでは怒られません。
5.「ノー」を言ってチャンスを失うのが怖い
これもまた間違った信念ではありますが、扱い方が非常に難しい問題でもあります。
ある種の頼まれごとは、チャンスです。私自身はフリーランスですから、この心理は非常によくわかります。
ただ、「ノー」を言わないことによってチャンスを失う場合もあるのです。ただただ来た仕事を引き受けていれば、いずれどこかでキャパシティを超えます。そこで大きな仕事が来たときには、チャンスを失いかねないのです。
6.「ノー」は拒絶とイコールである
これはある意味では、上記5つの総和のような信念です。そしてまた、誤った信念でもあります。
頼み事の拒絶=関係の拒絶と、おそらくは感情的に受け止めてしまうわけです。もちろんそれはほとんどの場合事実に反しますが、希にそのように感じてしまう人もあります。
「のどが渇いた。100円貸して?」
「ごめん、いま小銭持ってないんだ」
「私たちもうおしまいね」
何かシュールに思えるほど異常なやりとりですが、「ノーを言えない」という人の心の中は、これと同じくらい現実離れしているのです。それが非常に現実的に思えてしまうのが、本人にとってつらいところです。そのつらさから逃れるためには、何とかがんばって「ノー」を言ってみるのが結局最善なのですが。
なお、もとの記事は英文ですがこちらです。
7 Simple Ways To Say “No”
http://zenhabits.net/say-no/
そうすると何が得られますか?
So what? という表現は好きではありませんが、こう突っ込まれたら的確に答えられなければいけない場面というものがあります。
だいぶ以前のことですが、たぶんGTDについてのセミナーでのやりとりがありました。聴衆のひとりが質問を発し
「要するに、GTDをすると、どんなことがあるのですか?」
と言いました。
それに対して講師の方は「ストレスフリーになれます」と答えました。私はこれでは不十分だと思いました。『ストレスフリーの仕事術』というタイトルがついているのですから、GTDとストレスフリーとが関係しているのだろうということくらいは、GTDという言葉を知っている人なら、想像できることです。
むろん講師の人は、GTDを実践している以上、もっと具体的で重要なメリットを知ってはいたはずです。ただ、とっさにそれが出てこなかっただけでしょう。しかし、できればとっさに出てきた方がよかったのです。人に何かを始めた方がいいと説得するには、メリットを詳細に列挙してあげた方が効果的です。
たとえば、「行動と環境を整理すると、どんないいことがあるの?」と言われたとき「キチンとすると気分がいいでしょう?」というのは、私は不十分だと思います。次のように答えられるのが、理想的です。
必要なときにものが見つかる安心感
約束通りに到着する信頼性
きれいな家に住む魅力
協力的な職場環境がもたらす創造性
締め切りに間に合わせる責任感
必ず約束を守る誠実さ
自信に裏打ちされた落ち着き
むろんこれは本からの引用であって、こんなにとっさに答えられるようにはなかなかなりませんが、こう答えられると説得力が全然違います。
そして説得力をもつことの最大のメリットは、
自分自身を説得できること
なのです。つまり、これができると人に何かを始めさせられる以上に、自分に何かを続けさせることができるわけです。