心理ハック
「孤独」について知っていますか?
孤独とは、ただたんに「一人きりで居る」という物理的問題なのではなく、むしろ心理的な問題です。
そして、どんなときに孤独を感じるかというのは、人によって違いがあるとはいえ、大規模な心理的調査を行ったところでは、「孤独の心理」には一定以上と言っていい傾向が見られます。
あなたは「孤独」という心理について、詳しく知っているでしょうか?
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先おくりしない・自分をおとしめない
個人的なことですが、「いつもポジティブなことをつぶやく」という一種のマインドハック、私はちょっと好きになれません。不自然な感じがするのです。声高に反対したいというほど、違和感を感じはしませんが、自分ではやりたくないハックです。
ただ、「いつもネガティブなことを口にする」のを差し止めるというのは、いいマインドハックです。その理由をこのエントリ中、簡単にリストアップします。
「セルフ・ハンディキャッピング」という心理概念があります。これは、自分が不利な状況にあることを他者に伝えたり、不利な障害をあらかじめこしらえることによって、自尊感情の低下を防止しようとすることです。たとえば、テストの前日、友達からの遊びの誘いを「あえて断らない」ことによって、テストの失点の理由を作っておくことなどが、これに当たります。
セルフ・ハンディキャッピングは広範に見られる心理戦略で、これが一種の神経症につながっていく、という見方もあります。薬物、アルコール依存などが、これに端を発するという分析は、それなりに受け入れられています。
以下に、セルフハンディキャッピングの分類を列挙しますが、これはタスクの先おくりにも頻繁に応用されていると、すぐに気づきます。そしてまた、「いつもネガティブなことを口にする」のも、セルフハンディキャップの応用事例だと見ることができると思います。これを差し止めることの意味は、セルフハンディキャップをやめることです。
これは一種のゲームですから、やめればそれなりに戦略を整えなければなりません。こういうゲームをやめることで、マインドは多少とも健全な方向へ向かうと期待できます。
自分の内部に不利な状況を作り出す
・アルコール飲用
・薬物摂取
・努力しない
・タスクの忘却自分の環境に不利な状況を作り出す
・ムリヤリたくさんのことを引き受ける
・できそうもないほど難しいことをやろうとする
・厳しい条件で引き受ける
・不可能なゴール設定自分の内的な問題を口にする
・タスクが遂行できる自信がない
・他人が怖い
・体調が悪い
・心理的に気力がわかない自分の環境的な問題を口にする
・タスクが難しすぎる
・日程が厳しすぎる
・報酬が少なすぎる
・評価が低すぎる
覚えておくべきことがあって、これらは「事実に反する」とは限らないのです。問題なのは、これがゲームになってしまっている点。これが事実だから、その主張しなければならない、ということは当然あります。そうではなくて、目標のほとんどが「自尊感情低下の防止」にあるとしたら、これをやめることが賢明だということです。
水を打ったように静まりかえった空間で15分たたずむ
これはマインドハックです。個人的には、1日1回は実行したい、マインドハックです。
今週の月曜日、「メンタルハックセミナー」を実践いたしました。主要テーマは、「やりたいことをやること」でしたが、「裏テーマ」は、「減らす技術」。ワークを通して、1つ、また1つと、やらねばならないこと、やるべきこと、やろうとしていること、そしてやりたいことを圧縮し、削り、減らしていくという行程を踏んでいただきました。
何人かの方にはおそらく不満足が残り、何人かの方は満足していただけたようですが、「減らす技術」が主張していることが、どうも難しく、なかなか実践できないということを、体感していただくことはできたと思います。ここに強い抵抗を感じた方も、いらしたことでしょう。
私たちは「やることが少ない」ということがいいことだと、直感的に感じにくい世の中を生きているからです。本当に油断していると、やることはあっという間に激増してしまいます。Twitterが流行しているから、ちょっとやってみようかというと、そこからそれなりにやることは増えます。どんなことでも同じです。
努力して自由時間を増やしてみても、まるで急流をせき止めて、一時的に水が入ってこないようにしているようなものです。そのうちに水かさが一気に増して、水が殺到するかのように、やりたいことややるべきことが殺到してくるのです。
そこで冒頭のマインドハックを、多くの方に実勢していただきたいと思うのです。「減らす技術」は大切ですが、そもそも、「減らす技術」で得られる「幸福感」とは何なのか。後から大量の情報やタスクが殺到するにせよ、一時的にでも水をせき止めてみて、川底にたたずんでみたら、どんな感じがするのか。
私は1日15分はムリですが、5分は、を利用して、たとえば「水の音」や「夕立」を聞く習慣をつけていました。今では、iPhoneのWhite Noiseを使用しています。けっこう色々とあって面白いのですが、なかでもChimesがお気に入りです。
これに5分以上浸っていると、脳内の感覚ががらりと変わる印象を受けます。この間は、何もしません。何もしないということが、最初は「何かを止めた」という感覚で始まるのですが、途中から、「たたずんでいる」感覚に変化するのです。「せき止めた」のではなく、「最初はそうだった」という感覚に変わるのです。
いうまでもなく、これは一時しのぎに過ぎず、ヘッドホンを外せば、刺激が「殺到」してきます。ただ、こっちは正常ではないのです。これが私にとって、必要な価値観なのです。「5分たたずんだ」直後には、はっきり分かります。「減らす技術」は不可欠な技術なのです。
「あとはやるだけ」でもやれないときには?
2009年8月24日の第1回メンタルハックセミナー@大手町と、2009年8月25日の第6回マインドハックセミナー@渋谷に参加いただいた皆様、お疲れ様でした。セミナーではそれぞれ、「やりたいことをいかにやるか?」というテーマと、「やる気を出すにはどうするか?」というテーマを扱いました。
先日Lifehacking.jpの堀さんと話し合ったことなのですが、GTDを導入しようと、効果的なライフハックを駆使しようと、どうしてもやれないことというのはある、という昔ながらの問題があります。次にやることを明らかにし、そのための時間も確保し、机も片付いていて、コーヒーも入れてあって、準備が万端になっていても、なお、「手をつける気になれない」ということは、残念ながらあり得る、ということです。
GTDの創始者、D・アレンはそのような問題は「システムの問題ではない」と言ったそうです。つまり「GTDに問題があるのではない」ということでしょう。それは、「向き合うことのできない、本人の(心の)問題だ」というわけです。では、「向き合うことのできない心の問題」とは、何でしょう? そもそも、「向き合うことができない」とはどういう意味でしょうか?
些細な問題から、深刻な問題まで
じつは、「向き合えない問題」には、かなり些細なものから深刻なものまで、様々あります。たとえば、ある種のいつまでもタスクリストに居座りがちな、「常連タスク」が問題だという場合、その人はただ、ちょっとした腰痛持ちで、長々とパソコンで仕事をしていると、腰が痛むのを恐れているだけかもしれません。ただそのことに自覚的でないために、対策が思いつかないだけかもしれません。
このような場合には、自分が「どうしてもやる気がしない」と決まり文句をつぶやくまさにその瞬間をとらえ、自分の言いたい本当の不平は何なのか、突き止めてしまうことが大事です。
この方法を心理療法に応用しようとした人が創始したのが、「ゲシュタルト療法」です。「内観」という言葉を心理療法的に用い、「自らの心身が発するどんな微弱なシグナルをも拾い出す」ことにつとめ、そのケアをすべてやってみる。そうすれば、心身に関わる多くの問題を解きほぐすことができる、というわけです。
注意深い人なら、この「ゲシュタルト療法」は、手軽なんだかシリアスなんだか曖昧だ、と考えるかもしれません。出だしは手軽ですが、思わぬ結果を招きかねない意味で深刻です。先の腰痛の男性にしても、それはちょっとした腰痛から、心の病に端を発する場合まで、非常に様々です。「問題」を深く探っていくうちに、とんでもない事実に「直面する」(おうおうにしてはなはだ不愉快な)ということはあるものです。
内観すること
ただ、ことの軽重はいずれであれ、「直面する」ということの多くが「内観」によってもたらされるのです。「向き合えない」ということは、「内観」を避けているとか、「内観」する時間がない、ことなどが原因であることがほとんどだからです。
精神分析を受けているわけではあるまいし、ライフハック程度で「内観」させられたり、「深刻な内面的問題に直面」させられてはたまったものではない、と思われるかもしれません。でもそれはとらえ方が逆だと思うのです。「深刻な内面的問題」を抱えているなら、あるいは少なくとも、さほど深刻でなくとも「内面的問題」があるのなら、それに向き合うきっかけが何かなど、問題ではないはずです。ライフハックで「気づく」のはありえないし残念だが、精神分析で「突き当たる」なら「考え直さねばならん」というのは、おかしいのです。
ただ、「突き当たった」として、そこから先は確かに「ライフハック」の範疇外に飛び出すかもしれません。それはD・アレンの言うとおりで、「システムの取り扱う問題ではない」わけです。ライフハックすれば済むような話でもないかもしれません。それでもライフハックがそのきっかけとなるのはいいことだと思いますし、それより手前の問題であれば、ライフハックで解決できることもよくあります。
とりあえずは、「向き合ってみて」からの話です。
「思考のしっぽ」を捕まえる
昨日は、「災害時の人間心理」というクイズをアップしました。たいていの人は災害時の人間心理を、実際よりも過剰に悪く想像している、というテーマが背後にあったわけですが、だからといって「災害時に心理的トラウマ」を負うことがないとか、何らのトラブルも発生しない、などということは、もちろんありまん。
こうしたテストが示している教訓としては、「考え」というものの支配力の強さです。私たちは時に、ある種の「考え」を振り払えなくなり、そのために、ネガティブな感情をいっそう刺激してしまうという悪循環に陥ります。
息子を悪魔に捧げた男
『』というわりとよく出回った心理学書があります。精神分析医の書いた本なのですが、彼が紹介する最初のクライアントは、「強迫神経症」に悩まされています。
「自分が死ぬ」という考えにとりつかれ、その「考え」が運転中や仕事の最中に唐突にやってきて、生活どころではなくなるのです。実のところこの男性は、精神的に大変「弱い」人で、困難からはつねに「心理的に逃げる」という方針で生きてきています。
男性は、生育歴にも私生活にもたくさんの問題を抱えていますが、そのすべてから「精神的に逃げて」きたために、彼は「問題に直面しないですむ理由」を探し求めるようになっていたのです。そういう動機が強かったために、彼自身の「無意識の心」が答える格好で、「オマエはもうすぐ死ぬ」という突拍子もない「考え」にとりつかれるようになったのだというのが、精神科医の診断でした。どうしてそんなことを「無意識」がするかと言えば、「突拍子もない考えと格闘していれば、男性の抱える問題に向き合わずに済むから」というのです。
クライアントの男性は、この精神科医の診断をなかなか受け入れられません。そうでいながら、「自分がもうすぐ死ぬ」という「考え」から逃れるために、ついに「悪魔と取引」してしまいます。つまり、「この考えを消してくれれば、最愛の息子の命を奪っていい」と取引したのです。
この精神的なやりとりのなかに、クライアントの男性の性質のすべてがよく現れていると、精神科医は指摘します。訳のわからない苦しみに直面したからと言って、男性は「最愛の息子」の命を簡単に犠牲にするという発想に身をゆだねてしまっています。こういうことを「心の弱さ」と言わないなら、「心の弱さ」とは何なのかと、医師は男性に詰問します。
「考えたくないこと」を考えなくていいようにしてくれる「考え」
私たちには考えたくないことが、実際たくさんあります。「災害時のこと」だろうと、「うまくいかない性生活」だろうと、「なかなか手がつけられないリスト上のタスク」だろうと、「ちょっとした胸の痛み」だろうと、とにかくそういうことは結構あるものです。
先のクライアントの男性は、そういう人生上のやっかいごとに直面したくなかったので、考えるべきなのに考えずにおいたことが、無数に積み上がってしまっていました。中でも彼が恐れていたのは「いつか自分が死ぬこと」だったのです。彼はそんなことを考えたくなかったから、「考えたところで仕方がないでしょう?」と精神科医に主張します。「考えたところで死から逃れられるわけでもない」ということです。
しかし、ここが非常に深層心理的なところですが、その「考えたところでどうしようもないこと」つまり、「自分は死ぬ」という「考え」を、彼自身が振り払えなくなっているからこそ、クライアントは精神科医に相談したわけです。男性は、端的に言うと、「そんな、自分が死ぬなんて考えても仕方がないじゃないですか。それよりこの「おまえは死ぬ」という私の「考え」を何とかしてください!」と迫っているわけです。
ここまでひどくはないにせよ、私たちは「突き詰めるとこういうことになってしまう」ことを、ときどきやってしまいます。「完璧に」とまで言わずとも「きわめて質の高い仕事を成し遂げよう」として、いつになっても達成度0%の状態が続くというのは、これととてもよく似ています。「最高品質の仕事を成し遂げよう!」という「考え」は、「自分の現在の実力を表に出した場合の成果物」に向き合う苦々しさから、目をそむけさせてくれる、というわけです。
精神科医やカウンセラーというのは、このように、頑迷で有害な「考え」から解放してくれるために存在します。一見したところ、そんな不合理な「考え」から脱するなど、簡単に思えるかもしれませんが、これは決して簡単なことではなく、人の力を借りる必要も意義も十分にあるのです。