心理ハック
171 今年の一冊
あちこちで行われていて、今さら感が強いかもしれませんが、どなたかにインタビューを受けるわけでもない私は、自分で勝手にやってしまいます。2006年、今年の一冊。
今年読んだ本の中で、いちばん面白かったのは最終的にこの本でした。面白い本は他にもたくさんありましたが、この本は私に、もっと「進化心理学」という考え方を採用するように、促すきっかけになりました。
今は脳ブームですが、脳がこれほどまでに解明されれば、「意識」についてももっとずっと分かるようになる・・・という期待は小さくなかったと思っています。私自身がそうでした。
けれども、「意識研究と脳」の方面は意外となかなか先へ進まず、それよりも「脳を鍛える」方向へとブームが移って参りました。当然といえば、当然のことかもしれません。
小脳には技術習得に関わる機能があるとか、海馬は長期記憶に関わっているという話は、一部の人にとって(私もそこに含まれますが)非常に興味深い話です。ただ、技術習得が脳のどこで行われようと、あるいは注意を司る場所が脳の前だろうと横だろうと後ろだろうと、それを知っただけで記憶力を実感できるほどに高めたり、集中力を自由自在に操れたり、そういうことができるものではないわけです。だからこそ、「脳トレーニング」が流行るのだとも、考えられるでしょう。
「進化心理学」はこれに対して、まずは私たちに「能力の限界がなぜ存在するか」について考えさせてくれます。脳の特定の部位をマッサージしたりすることができない以上(そんなことをしても何がどうなるとも期待できない以上)たとえばどうして記憶力を鍛えることは難しいのかということや、子供の集中力が続きにくい理由について知った方が、知る甲斐があると思えるわけです。その原因を「取り除く」ことで、欲しい能力が得られるかもしれませんし、あるいはある能力を極大化させることはあきらめて、代替えとなる能力を伸ばそうとした方が賢明かもしれません。
むろん脳の仕組みを知ることが、純粋に好奇心を満たすということはあります。が、昨今の空前の「脳を鍛える」ブーム(「脳を知る」ブームとは趣を異にする)をみておりますと、「純粋に好奇心を満たす」方のニーズは、それほど多数派ではないと感じます。
というわけで、今年の一冊は、進化心理学おもしろさを、洒脱な文章で教えてくれた、ニコラス・ハンフリーの『喪失と獲得』でした。実際のところこの本は、「純粋に好奇心を満たす」という目的からも、楽しく読めます。
170 冬は仕事がはかどる?
あくまで、個人的印象ですが、冬は仕事が速く進むような気がします。で、どうしてかと考えてみるに、日が暮れるのが早いからです。
今これを書いているのが、18:19ですが、すでにとっぷりと日が沈んで外は真っ暗です。否が応でも、気が焦ります。もうこんな時間!(何時だかは、分かっていない)と思わせられるのです。
そう考えてみると、5、6、7月は仕事がノロノロでしょうか?
個人差があって当然ですが(そもそも夜の仕事の方には、関係のない話)どうもそういう気がします。日が長いから油断するのに加え、「外はあんなに明るいのに、なぜ自分は家でシコシコと、コンピュータの暗い画面に向かっているのだろう?」という気にさせられるからです。
似たような理由で、雨の日は、私は仕事がはかどります。やはり日が暮れるのに追い立てられるし、外へ行って遊ぶ気になど、ならないからです。雨の日は家でシコシコと、パソコンに向かって、モノを読んだり書いたりするのに適しているのです。
コトの良し悪しは別として、人間はやはり、「明るさ」で時間を計ってしまう性向が抜けないようです。たしか野口悠紀雄先生だったと思うのですが、どこかで「書斎は地下室に持ちたい」ということを書いておられました。窓の外の風景など、仕事には不要。時間は、時計で計ればよい。ということのようです。「仕事のオニだな」という思いを抱いた覚えがあります。
すでに冬至は過ぎ去りましたが、それにしても日の暮れが早い。しかし、気持ちがあまり晴れないこととは裏腹に、意外に仕事がはかどるのが、冬至近辺のようです。言うまでもなく、インフルエンザなどには要注意です。これにやられると、いくら一日の仕事がはかどったところで、計画に深刻な被害をもたらすでしょう。私はつい先日、ほぼすべての原稿を脱稿したからよかったようなモノの、いくつかの仕事はどこにも「遊び」の日程がなく、自分が倒れでもしたら、倒れつつパソコンに向かわなければいけないところでした。
日の暮れに追い立てられるのも、〆切に追いまくられるのも、どちらもストレスフルでイヤなものですが、追い立てられるのに乗っかってしまえば、仕事はスピーディに進行するうえ、緊張していると意外と風邪を引きにくいのは、慰めになります。私は、幼少時から断続的に寝床が友達というほどに体が弱かったモノですから、ここ一年医者にまともに通わずにすんだのは、忙しかったからなのかもしれません。
169 タイムマシンと展望記憶
昨日に引き続き展望記憶のお話です。『ドラえもん』でのび太くんが、展望記憶を補助するツールとして「タイムマシン」を利用する話をご存じですか?
のび太くんは物忘れの激しい少年です。そこで、タイムマシンを活用して、「今すぐ」10時と12時と15時ののび太くんに会ってきて、今何をするべきかどうかを教えに行くのです。
当時、それを読んでいたのは七歳頃のことで、これにどういう意味があるのか、よく分かりませんでした。今なら、非常によく分かります。もっとも、タイムマシンがあるのに、展望記憶の補助ツールとして使うことは、考えられませんが。
この話を思い出したのは、「うーん。あんなことができたら、便利だろうなー」とついつい思ってしまったからです。しかし、考えてみれば、携帯やアラームを活用する方が、よほど便利。タイムマシンに乗って、わざわざ未来の自分にコンタクトをとりに行くのは、買い物に出かけてしまった奥さんにメモを届けるために、車に乗るようなものです。
今なら、携帯電話一本で済みます。
ただ、アラームにせよ携帯にせよ、やるべきことを一方的に告げるだけです。場合によっては、音をただ鳴らすだけです。タイムマシンのすごいところは(実在するわけではありませんが)、コミュニケーションがとれるところです。
ただ、こんな方法があると、人間いよいよ先送りばかりになりそうです。なにしろ、今から三十分後の自分に「やらせればイイ」のですから。
そう考えてみると、やらせる自分とやる自分、心の中ではどういう風に分かれているのかが、問題ですね。
168 展望記憶補助ツール
『備忘リストバンド』
http://lifehacker.com/software/diy/diy-armmounted-task-nagger-219245.php
あすなろブログというところで大橋悦夫さんが紹介しているツールですが、こうしたものを目にするたびに、人間の展望記憶というものの、驚くべき弱さが実感されます。
「手に書く」
「メモを持つ」
「アラームを鳴らす」
何をやってもなかなか撲滅できない「やり忘れ」。これは頻繁に発生する上に、心理的ダメージも小さくありません。
「せっかくスーパー行ったのに、どうして電池買ってきてくれなかったのよ!!!」
「だから、忘れたって言ってるだろ!!!!!」(全く何で忘れたんだ、俺!!!!!!!)
展望記憶というものはおそらく、「覚えておこう」と思った事柄について、脳が必要なときに「再生」(思い出すこと)ができるように、「凍結」しておく対象だと考えられます。脳は「生もの」のため、「凍結」するにはそれなりのエネルギーがいります。「忘れずにあれをしなくちゃ」と思って買い物に出かけたりすると、「なにかがこころに引っかかるような感じ」を覚えて、少しストレスになります。それはこの、「凍結」に必要なエネルギーのせいだと考えられます。
「やるべきことを一度すべて紙に書き出してみよう」のGTDは今や有名ですが、こうすることで目指しているのは、「凍結」に必要なエネルギーをすべて解放してみるという、精神衛生的な目的もあるでしょう。
展望記憶に失敗するのは、多くの場合、「凍結」の失敗ではなく、「解凍」の失敗です。解凍すべき時が来ているのに、それを忘れて「凍らせっぱなし」にしてしまうわけです。そうなるのはもちろん、解凍する「きっかけ」を見落とすからです。
「手に書いて」も手を見ることを忘れるのですから、この問題はなかなか深刻です。私はこの問題を解決してくれる可能性を持つのは、携帯電話だと思っているのですが、メモを手に巻くというのも、悪くはないでしょう。しかし、「見た目」は存外悪いのに、それでも「見忘れる」恐れもあると思います。
「見忘れ」を防ぐには、メモがふるえてくれることです。それも、定期的にふるえてくれることです。もちろん、「いつ」ふるえさせるかが問題となってきます。
そこで考えたのですが、「今日の予定」を自動的に作っていってくれるような電子手帳は望めないのだろうか、ということでした。もちろん完璧には無理でも、「作業記録」を細かく記録していくとともに、「予定」や「約束」の時間を考慮に入れ、なおかつ「路線検索」などによってどこをどう通るかが事前に決まっていれば、実のところ「自分の今日一日のおおよその行動予定表」は、朝の内に決まっているのではないでしょうか?
167 脳がコンピュータを動かし、道具を使う
脳がコンピュータを動かし、道具を使う
http://sci.gr.jp/project/nhksp/chapter_4.php
NHKスペシャルより
これがはたして、本当に好ましいことなのかどうかについては、議論沸騰でしょう。しかしながら、私たちの「仕事の道具」は、業務内容がいわゆる「ホワイト・カラー」に属する限り、この方向を目指しているのは間違いないところです。
実用段階には至りませんが、すでに理論上、このようなことは可能です。考えてみれば、脳が思考し、そのロゴス的表現を指先で行おうが、「脳先」で行おうが、大きな違いは生じないかもしれません。実際、やはり実用的には疑問符がつくものの、「音声認識ソフト」では喋って文章を記録できます。ならば、その前の段階の運動で「表現」することに、それほどの不思議はないようです。
ここまで来ると、少し考えるところがあります。結局のところ、誰かの「脳内エネルギー」が他の人にとって利益を生むのであれば、その脳内表現を記録しておくことは、すなわち「仕事」となり得ます。これはむろん現段階では「妄想」と言うべきですが、たとえば文章を脳の直接表現とするなら、音楽でも絵画でも同じ事のはず。動画も同様です。
たとえば、頭の中で音楽を奏でると(これはだれにでもできることでしょう)その「ニューロン信号」を脳内から読み取って、譜面にする。もちろん音楽ファイルもそこから生じる。それが「聞くに価するもの」であれば、当然ビジネスになるでしょう。
そこから先はいっそうモウソウ的ですが、「脳内エネルギー」によってマウスが動かせるなら、そしてマウスを動かせばクレーン車が動かせるようにできるなら(できるでしょう)、人間は、「頭で考えただけで物を動かすことができる」ようにもなるでしょう。ある意味では、ハウス・キーピング・ロボットを作るより、この方が容易かもしれません。
現段階では、言うまでもなく運動野からの信号をそこまで精密に読み取るための、技術がありません。あったとしても、高くつきすぎます。けれども技術の進歩というものは、流れがいったん始まってしまえば、あっという間です。私の手元に、1970年代に発行された「未来の図鑑」がありますけれど、ここに書いてあることの大半は、すでに達成済みです。中には、何とも言えず突拍子もないアイデアもあって、それらは「未達成」ですが。(たとえば、ゴミを捨てればそれが畑の肥料になるなど。この点については、かなり真剣に予測されています)。
今や未来を予測するのが、遠い未来ですとかなり困難であるほどに、「現在」が急激に進歩中です。そのわりに進歩していないものも、ずいぶんあるといえばあるのですが、(たとえば現在の「音声認識ソフト」や「デジタルペン」などは、技術がすごいことはよく分かりますが、実際に仕事で使うのは先のことになりそうです)、心理学などをかじっていますと、その中で一番問題だと思うのは、「心の問題」はえらくアナログ的だということです。
実際、「心理学」は発展してきました。ですが、上記いずれの「未来ツール」であれ、「脳が健常」であることを仕様の前提としています。「心脳」でツールを直に扱うような世の中になると、「心が壊れている人」への不利益は今よりも明らかに増大します。にもかかわらず「心を治す」ことについて、私たちの知識は非常に限定的です。
今はまだそれほど表面化していませんが、そもそも上記のような特殊なツールは、今現在のPCよりも独特な操作能力を要求するでしょう。デジタルデバイドという言葉は、今でさえイヤなものですが、将来はもっと複雑で難しい意味に変わるかもしれません。そう思っても私は、上記のようなツールにあこがれる気持ちが、抜けはしないのですが。