旧ライフハック心理学

心理ハック

052 残務ゼロ研究会を開催いたします

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久しぶりの単独セミナーです。

趣旨はだいたい次の通りです。ただしちょっと趣向懲らしまして、「研究会のうち約2時間は残務処理、またはその計画を立てることに費やしていただく」ようにします。

その間いくらでもご質問は承るとともに、必要に応じてしゃべるようにしますが、黙々と残務処理していただいてかまいません。

「残務ゼロ、それはムリでもせめて残務をスッキリさせる見通しを立てて休日を過ごすだけでも、ずいぶんスッキリするのでは?」

という提案を佐々木が受けて、この「残務ゼロ研究会」を企画しました。

「残務」とはここでは少し広くとらえてください。例えば

・ふだんからやろうと思ってなかなか手のつけられないこと
・勉強などの計画
・やれば便利になることがわかっている環境設定
・いつかまとめてやろうと思って集めているライフハック
・実際の業務上の残務

なども「残務」です。これらの見通しがつけば、心理的にずいぶんスッキリするだろうし、未来志向的になることが可能です。

10月9日 残務ゼロ研究会(東京都)

「残務」というのはコンテクストです。それは「受信トレイ」や「●●整理」と同じで、決してプロジェクトではなかったのです。でも肥大化するとプロジェクトのようになってしまいます。

コンテクストが肥大化してプロジェクト化してしまったものほど、手のつけにくいものはありません。中身が色々ですし、粒度もバラバラですし、かかる時間も見積もりにくいものです。

それだけに自分だけの意志力では手をつけるのも困難となりがちです。この場は「半強制」の場であり、それによって特殊なモチベーションを得るキッカケにしたい、という思いがあります。

みなさまのご参加をお待ちしております。

10月9日 残務ゼロ研究会(東京都)

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051 必要な情報を「近く」に配置する

献本ありがとうございます。

本書はちょっとマンガみたいな表紙なのですが、実際にはものすごくまじめに書かれた、大変網羅的な本です。それだけに一言で「なんの本か?」に答えられません。

まだまだ遠い道のりですが、本もようやく電子化の道を歩き始めました。このこと自体を私は歓迎していますし、そういう人は少なくないでしょう。一方でこれまでのところ「日本の電子書籍」は「総論賛成、各論反対」の最悪のコースを進んでいるように見えます。

「書籍」を身近におくために

私は自炊も試しました。グレーゾーンであることは承知しつつ、「自炊代行業者」さんにもいくらかお世話になりました。著者としてこういうことをブログに書くのはどこかしら不安感に突き動かされますが、紙の本と電子書籍の「数の比率」は少なくとも今と逆になるべきだと信じています。

紙は貴重なのです。空間も貴重なのです。したがって、すべての書籍が紙で出され、すべての書籍を紙で持つというのは、今となっては不都合が多すぎるのです。

私はかなりの苦労を経てようやく今、手近なところには

・必要な資料としての紙の本

・紙で読みたい本

で固められつつあります。実家の部屋のことを入れれば、まだ理想には遠い状況ではありますが。

そして、『スマート読書入門』のまつもとあつしさんも指摘されているとおり、電子化した暁にも「心理的な距離」の問題は残るのです。「どこ」に電子書籍をどんな形式でおくかは、それを資料として使ったり、読み返す際には重要なことです。そもそも「何」で読むかという問題も一筋縄ではいきません。ソフト、ガジェット双方に問題山積です。

私はソーシャル・リーディングは面白い試みだと考えつつも、あまり興味を持ってはいません。読書とは私にとって、孤独だからこそ価値が高い営為です。孤独感がうすまる方向に読書を持っていくのは、自分に関する限り本意ではありません。

話を戻すと、電子化しなければ身の回りに読みたい本を置くことすら困難なのです。繰り返しになりますが、空間は貴重です。読みたい本も資料のための本と献本や、捨てるべき本などに相まって埋まってしまうのです。

スペース確保より持ち出しやすくするために

まつもとさんの言うとおりよほど気をつけていないと、自炊したところで「本が減っていくかと言えば、ほとんど「減らない」」ということになりかねません。

自炊したがるほどの本好きは、スペースが空いた分だけ本をどうせ買うからです。現状のように欲しい本のほとんどがデジタル形式で手に入らない以上、そういうことになります。

「気をつける」というのは具体的には、「本を手近に置く努力を怠らない」ということです。買ってすぐに読んだらよいような本は、買ってすぐ読んで手放すか、電子化する。書棚にスペースを作るのではなく、書棚を機能させるために電子化するわけです。

「スペースの確保」を最大の目的にしてしまうと、その目論見は早晩破綻することになります。「こんなはずではなかった」と挫折感が出てきてしまうと、もうデジタル化そのものが気の進まない作業になってしまいます。

 そうではなく、「デジタル化して『必要な本』はいつでも取り出せて活用できる」ということを目的として、そこで満足感を得られるようにしておきましょう。

本書は本のデジタル化という問題でなんとなく納得のいかない気分に悩んでいる、多くの人に読んでもらいたい本です。ただ、私自身は本書を読んで、いよいよ憤懣やるかたなくなってきました。

なぜこんな苦労しなければならないのか? やむを得ないこととは言え、理想的な状況からすれば、ものすごい不便を我慢するか、大変な労力をかけるか、今のところどちらかを選ばなければならないのです。

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050 感情を制御する力の重要性と問題点

私と会った人の大半は私のことを「感情がない」と言います。そういうことはあり得ないのですが、制御するための方法を意識していることはたしかです。

感情を押し殺しすぎ
制御しているうちに情緒が死んでしまう

等々と言われたのも、2度や3度ではありません。ただその言葉の意味を、的確に教えてもらった記憶はまだありません。これほどまでに「感情の制御をしすぎると感情が死ぬ。それはよくない」という人が多い中で、

・なぜ死ぬのか?
・なぜよくないのか?

について一言で納得のいく説明をしてくれる人が私の周りにいないというのは少し困ったことです。

知覚は常に情動の影響を受けている


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立派な扉の向こう側に切り取られた庭の景色が見えます。この光景を「見て」私達は様々なことを感じると思っています。ある人は向こう側の庭が楽しそうだと思うでしょうし、シチュエーションによっては向こう側に不気味さを感じる人もあるでしょう。

しかし同時に、目はカメラとは別のものです。ありきたりな言い方ですが、私達は現実を「ありのままに」知覚できません。特別な感情に興奮しているときは、特にそうです。


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私達が時に自覚し、時にまったく無自覚なのが、この紫色の矢印による知覚への影響です。知覚への影響だから本当はこういう図式では不正確ですが、正確に描くことは困難なのでご容赦ください。

フロイトの最大の功績の1つは、この紫色の矢印が心理的な問題を発生させるので、紫色の矢印について分析する必要があるという方法論を提供したことだと思います。これを「無意識の影響」としたことは誤解のもとになりましたが。

というのも、たしかに紫色の矢印の力についてまったく無自覚な人も多くいますが、自覚するのが容易な状況も少なくありません。たとえば私が映画『遊星からの物体X』を見た夜に、なんとなくトイレに行きたくなくなるのは、自宅のトイレにいつの間にか物体Xが潜む気配を感じたからではなく、恐怖感を知覚に投影しているだけです。でもそんなことには、子供時代にも気づけました。全然無意識ではないわけです。

紫色の矢印の存在にいつも気づいていることはほとんど不可能ですが、時々感づくことは十分に可能です。そしてこの力の存在をほとんど常に意識できるようになってみると、つまりそれで、感情を制御できるようになるわけです。

・梅雨空が憂鬱なのではなく、何らかのネガティブな感情を空に投げかけているだけ。その証拠に、自著の重版でもかかったというニュースが入ると、梅雨空もすばらしい光景に見え始める

もちろん知覚に情動が影響をおよぼすのと同じかそれ以上、知覚が情動にも影響をおよぼします。だから紫色の矢印と青い矢印の力がスパイラルとなって、ある種の気分の時は何を見てもどんどん落ち込んでしまう結果になるのです。これは危険です。

したがって紫色の矢印の力の存在に無自覚でいることは危険なのですが、同時にこの力を意識しすぎると、「感情を殺す」のでよろしくないという。冒頭の話です。その理由を正確に知りたいものです。

なお、紫色の矢印が示す「力」は、なんとなく社会心理学で言う「言語期待バイアス(PDF)」との関連性を予感させます。これについてまでここに盛り込むと冗長になるので、またの機会に回します。

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049 「考えやすく」しておくと先送りが避けられる

「cognitive fluency」とは、端的にいうと、ある物事についての考えやすさ。ヒトは考えにくいものよりも、考えやすいものを好みます。これは一見、直感的な考えに見えますが、心理学者は、この「考えやすさ」がヒトの思考をどの程度誘導しているかについて、解明しはじめました。

「考えやすさ」は、ヒトの思考を様々な方法で形成するため、スーパーで買う商品から選挙で投票する候補者まで、情報を評価するあらゆる場面で意思決定に関与。魅力や信頼、疑念といった感情がどのように作用するかを解く鍵となっています。

「失敗を目一杯書き出す」という意外な自信向上術 : ライフハッカー[日本版]

こちらの記事は、記事内容にも研究内容にも、もう一つ納得がいきませんでしたが、「ある物事についての考えやすさ」についての研究は今後もずっと発展して欲しいと思います。

私達の感情的な意思決定は非常に安易です。非常に安易だと常々思っています。「私は直感的に判断する」とおっしゃる人が、どの程度御自身の安易さを正当化するためにそう言っているのか、検証したくなることがあります。

・あの人感じ悪い
・わかる

このような発言が飛び出すタイミングが、あまりにも速い。速すぎる。この速度を支えているのが「直感」であったり「感覚」であり、いちいち証拠を網羅的に検証せずに判断できるヒューリスティックスを持つ人間の優れた点ですが、それにしても認知資源を節約しすぎていると思うのです。

先送りと間違った判断


先送りというのは、たいてい「このタスク感じ悪い!」という高速判断によって実施されてしまうものです。私の発想はすぐにタスクを人がどう処理するか、またはしないかにつながってしまいますね。そういうことが私にとって「考えやすい」のです。

ですが「このタスク感じ悪い」というのは、非常にあっさり覆ることがあります。

・ちょっとやってみたら意外と感じよかったかも!

ということもあります。これをクレペリンの作業興奮によって説明し出す人がいるのですが、どうかと思います。というより強引すぎるでしょう。これはただ、少し注意を振り向けてみたら判断が変わった(初期の直観的な判断が修正された)というだけのことです。

タスクの先送りを避けるには、「考えやすく」しておくことです。あるタスクが外見上考えにくそうだと「感じ悪く」見えてしまい、そのせいで手をつけにくいものになります。

小分けにするとか、Evernoteの関連資料にひもづけるとか、時間を見積もっておくというのはどれも、タスクについての一見したところの考えやすさを増大させるという方法論です。パッと見た瞬間に考えることのできる状態は、「感じがよい」ように見えるわけです。(なぜならその分認知資源を使わずに手がけられるからです)。

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048 「失われて初めてわかる価値」を少しでも実感する

私達は残念ながら、失われてみないと価値を忘れる傾向があります。屋根のある価値をもっとも強く実感できるのは、屋根のないときです。もっともこれはよいことでもあり、そうでないと私達は毎日感謝の念で感動し続けるあまり、屋根を失ってしまいかねません。



今日は驚くほどモチベーションが上がらなかった。タスクシュートがなかったら、現実逃避してたかも。別の仕事が入って中断した後、できるだけ同じ状態で戻るにはどうしたらいいかな。 via ついっぷる for iPhone


私はこのつぶやきに、いろいろな意味で強い印象を受けました。「別の仕事が入って中断した後、できるだけ同じ状態で戻る」というのは個人的に考えるところ、たぶん不可能です。ただ、「別の仕事が入らなかったらどれほどよかったか」を実感することには意味があります。

「終了予定」のアンカリング効果


タスクシュートを使っている方にはおなじみの「終了予定時刻」ですが、使い込むとこの時刻はだんだん動かなくなっていきます。タスクの見積もり時間が正確であればあるほど、終了予定は固定していくのです。

これは当たり前のことなのですが、最初のうちはちょっとした印象を残します。徐々に「今何時か」になんの興味もなくなるのです。タスクシュートと離れず、終了予定が正常値を示している限り、予定に遅れるはずがなく、タスクが終わらないはずがないからです。

その「正常値」(今の私でいえば18:00周辺)はだんだん記憶に残ります。何しろタスクをやる度に目にする、気にする唯一の時刻です。これが動かないように行動していればいいのです。

ですが、思わぬ割り込みタスクのせいで、ごくたまにこの時刻が動くことがあります。割り込みはもともとバッファとして計上されているので、「想定内の割り込み」が入ってもこの値は動きませんが、想定外がまれに発生し、そのとき値が大きく狂います。

このショックは極めて大きいのです。屋根を失ったようなものです。ただそのときになって初めて気づくことがあります。想定内にいられるということの貴重さです。

もちろんずっと値が1分も動かないわけではありません。でも90分も動いたときには強い衝撃を受けるのです。ただこのショックは、終了予定を動かさないことに強い動機付けが働いていたということでもあります。この動機付けを実感することには意味があるのです。

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