心理ハック
105 道化の特権
今日は、「道化」(トリックスター)という概念について、お話しします。
日本において、道化の活躍はよく見られます。特徴も、ほとんどの人がよく知っています。馬鹿なことばっかりやっていて、妙に騒々しくて、また挙動が軽々しく、人、特に最近はやりの「サムライ」をからかい、「重鎮」の怒りを買い、ぶっ飛ばされたり、刀を振り回されたりする、「小男」です。
おそらく、とっさに多くの人の頭に思い浮かぶのが、駆け出しの頃の豊臣秀吉です。それもまだ、木下籐吉郎と呼ばれていた頃の、彼です。秀吉の場合、かなり高級なトリックスターですが、それというのも上記の特徴を兼ね備えていた上に、現実の知恵が回るからです。
これは大事な点ですが、上司がある種の「革命家」(改革者)であったことも、彼には追い風となりました。言うまでもなく、織田信長のことですが、トリックスターの特徴は価値観がメチャクチャであるところから来ますので、支配者が価値の転倒をめざしている時代は、活躍の機会が増えるのです。
道化の価値観が転倒していることと、「影」の関係はといいますと、それは自我と社会の価値観を、了解できない点にあります。道化は、しかるべき振る舞いというものができません。いわゆる権威というものが、「理解できない」からです。それは彼が、「愚か」だからです。「愚か者」ゆえに、やってはいけないことをやったり、言ってはいけないことを言うことが、許される。
許されるとは言っても、怒りは買います。だから殴られたり、時には斬りつけられる。道化はそれに対して、「闘う」ようなことはしません。ただぶん殴られたり、走って逃げ出したりするのみです。この「倒れる」という運動が、象徴的です。ちょうど、横にしても横にしても、また起き上がってくるダルマさん人形のように、道化は殴られるし、殴られても起き上がるのです。
道化にとっては、上も下も一緒です。簡単に逃げ出せるのも、簡単に美女の後を追いかけ回せるのも、「愚か」で「恥知らず」だからなのです。「恥を知る」には、社会の価値基準を了解しなければなりません。道化には、それは難しいことなので、「訳も分からず言ったりしたりする」ことを、周りは嘲笑しながら、「やれやれ・・・」と言って「見逃してやる」わけです。
シェークスピアの劇中に、この手の道化が頻繁に登場しますが、彼らが特に現代風アレンジのなかで、しょっちゅうバック転などアクロバットするところも、上下が転倒している様をよく示しています。バック転できるほどの役者さんをそろえられないときには、横転やでんぐり返りで済ませますが、しばしばそれすら失敗するとき、まさしく「トリックスター」らしく観客の笑いを誘います。原理は、ダルマさんと同じ事になるわけです。
河合隼雄が『影』において指摘していることですが、豊臣秀吉はトリックスターであると同時に、ヒーローでした。彼は結局、「太閤」にまで出世するのです。しかし、最後には奇妙な執政を繰り返し、意外なほど悲劇的にこの世を去りました。彼の子はいっそう悲惨でした。この「道化」→「英雄」→「王」→「死」といったパターンは、無意識→自我→自己実現→無意識のパターンに呼応します。道化とは、きわめて無意識に近い生き方をする、不思議な自己存在です。
自意識の世界には、先生と生徒、授業時間と休み時間、男と女、といった基準に従った区分がありますが、無意識の世界では、昼と夜は連続しているし、男性と女性も同じ生物ということで、全てがあいまいでつながっていきます。トリックスターは、一応「少年」であることが多いのですが、女優が演じることも多く、学校でもトリックスター的な子どもほど、「チャイム」を無視してかけずり回ります。
ギリシャ神話における、時の神「ヘルメス」は妙ないたずらをアポロンに小細工して、大変な怒りを買います。ヘルメスもまたよく指摘されるとおり、道化的な神です。しばしば、生者を「死の国へひとっ飛びに連れて行く」ことから、死神との扱いも受けます。「時間」は生の世界と死の世界の区別もあいまいにします。
さて、いささか長くなりましたが、トリックスターの問題というのは、今回取り上げている『影の現象学』の中でも、とびきり「ライフハックス」(やる気と時間管理)と結びついています。そのお話は明日以降に続けますが、私達は要するに、みな心の中に「道化」を住まわせています。それは私達自身の「両義性」(アンビバレント)であり、自我の王国の「愚か者」なのです。「愚か者」は「仕事をしないと!」と言えば「明日にしようよ」と言い、中間テストの勉強計画を立てる、とアンチョコを買ってこようとします。
これは私達の中にある、小賢しさであり、悪知恵であり、小工夫であり、いたずらっ子であり、何にせよ自我の価値観の影を代弁する存在です。それらを完全に押さえつけ、徹底的に「筋を通した」生き方を企画すると、道化の方もいっそう無意識的になって、思わぬ足の救い方を仕掛けてくるのです。これまた、非常にライフハックス的でしょう。