心理ハック
モノではなく価値を認知するということ
- 2009年01月13日 (火)
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2009-01-12の続きになりますが、J・J・ギブソンが言うように、意味や価値をイスなどの外部の対象に「与える」のではなくて、外部のほうに意味や価値があらかじめ備わっていると考えると、どういうメリットがあるのか?
たとえば、「何を持ってイスとするか?」ということを、特徴やモデルなどに求めずとも、「イスとしての価値を提供してくれるかどうか?」という観点でとらえることができます。イスとは、座りたいという欲求を覚えたとき、価値があると思えるモノや場所などのことです。座ることができるなら、地べたもイスになりますし、階段もイスになります。
「あれをイスにしよう」とか「あれを台にしよう」などということがあります。この考え方に従えば、イスや台とはよく定義された一定の範疇内にある物質のことではなく、必要な価値を提供(アフォード)してくれる環境なら何でもよいわけです。
現段階で、ロボットに人並みの「認知」が難しいのもこれでよくわかります。何と言ってもロボットは、「座りたい」とか「すっきりしたい」とか「きれいにしたい」などとは少しも感じませんから、環境世界から価値を引き出せないというか、引き出そうとしないのです。そういう場合、動物や人間には自然な認識が、不可能同然になるわけです。
このようなギブソンの考え方を、ドナルド・ノーマン(D・A・ノーマン)がやったように、拡大解釈していったのは自然な流れというものでしょう。座りたいという欲求が、環境に「イスの価値」(イスと言葉で認知できなくても腰掛けることで)を見いだすのならば、そこから「利用可能性」や「価値の優劣」といった話になっていくはずです。つまり、「使いやすい道具」=「価値を引き出しやすい環境」という図式で、デザインの善し悪しを判断するというわけです。