心理ハック
「思考のしっぽ」を捕まえる
- 2009年08月25日 (火)
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昨日は、「災害時の人間心理」というクイズをアップしました。たいていの人は災害時の人間心理を、実際よりも過剰に悪く想像している、というテーマが背後にあったわけですが、だからといって「災害時に心理的トラウマ」を負うことがないとか、何らのトラブルも発生しない、などということは、もちろんありまん。
こうしたテストが示している教訓としては、「考え」というものの支配力の強さです。私たちは時に、ある種の「考え」を振り払えなくなり、そのために、ネガティブな感情をいっそう刺激してしまうという悪循環に陥ります。
息子を悪魔に捧げた男
『』というわりとよく出回った心理学書があります。精神分析医の書いた本なのですが、彼が紹介する最初のクライアントは、「強迫神経症」に悩まされています。
「自分が死ぬ」という考えにとりつかれ、その「考え」が運転中や仕事の最中に唐突にやってきて、生活どころではなくなるのです。実のところこの男性は、精神的に大変「弱い」人で、困難からはつねに「心理的に逃げる」という方針で生きてきています。
男性は、生育歴にも私生活にもたくさんの問題を抱えていますが、そのすべてから「精神的に逃げて」きたために、彼は「問題に直面しないですむ理由」を探し求めるようになっていたのです。そういう動機が強かったために、彼自身の「無意識の心」が答える格好で、「オマエはもうすぐ死ぬ」という突拍子もない「考え」にとりつかれるようになったのだというのが、精神科医の診断でした。どうしてそんなことを「無意識」がするかと言えば、「突拍子もない考えと格闘していれば、男性の抱える問題に向き合わずに済むから」というのです。
クライアントの男性は、この精神科医の診断をなかなか受け入れられません。そうでいながら、「自分がもうすぐ死ぬ」という「考え」から逃れるために、ついに「悪魔と取引」してしまいます。つまり、「この考えを消してくれれば、最愛の息子の命を奪っていい」と取引したのです。
この精神的なやりとりのなかに、クライアントの男性の性質のすべてがよく現れていると、精神科医は指摘します。訳のわからない苦しみに直面したからと言って、男性は「最愛の息子」の命を簡単に犠牲にするという発想に身をゆだねてしまっています。こういうことを「心の弱さ」と言わないなら、「心の弱さ」とは何なのかと、医師は男性に詰問します。
「考えたくないこと」を考えなくていいようにしてくれる「考え」
私たちには考えたくないことが、実際たくさんあります。「災害時のこと」だろうと、「うまくいかない性生活」だろうと、「なかなか手がつけられないリスト上のタスク」だろうと、「ちょっとした胸の痛み」だろうと、とにかくそういうことは結構あるものです。
先のクライアントの男性は、そういう人生上のやっかいごとに直面したくなかったので、考えるべきなのに考えずにおいたことが、無数に積み上がってしまっていました。中でも彼が恐れていたのは「いつか自分が死ぬこと」だったのです。彼はそんなことを考えたくなかったから、「考えたところで仕方がないでしょう?」と精神科医に主張します。「考えたところで死から逃れられるわけでもない」ということです。
しかし、ここが非常に深層心理的なところですが、その「考えたところでどうしようもないこと」つまり、「自分は死ぬ」という「考え」を、彼自身が振り払えなくなっているからこそ、クライアントは精神科医に相談したわけです。男性は、端的に言うと、「そんな、自分が死ぬなんて考えても仕方がないじゃないですか。それよりこの「おまえは死ぬ」という私の「考え」を何とかしてください!」と迫っているわけです。
ここまでひどくはないにせよ、私たちは「突き詰めるとこういうことになってしまう」ことを、ときどきやってしまいます。「完璧に」とまで言わずとも「きわめて質の高い仕事を成し遂げよう」として、いつになっても達成度0%の状態が続くというのは、これととてもよく似ています。「最高品質の仕事を成し遂げよう!」という「考え」は、「自分の現在の実力を表に出した場合の成果物」に向き合う苦々しさから、目をそむけさせてくれる、というわけです。
精神科医やカウンセラーというのは、このように、頑迷で有害な「考え」から解放してくれるために存在します。一見したところ、そんな不合理な「考え」から脱するなど、簡単に思えるかもしれませんが、これは決して簡単なことではなく、人の力を借りる必要も意義も十分にあるのです。