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ピントがあわせられないことは面倒くさく感じる

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何かをやらなければならないけど、面倒くさい。
そう思ったら、やらなければならないことに、意識のピントをあわせることです。

意識のピントから外れていることはやる気がしない


脳科学(認知神経科学)の本を読んでいるとよく、「統合」という言葉に出くわして、首をひねりたくなります。視覚や聴覚の情報が「統合される」というような表現がなされているのですが、どうして統合されるのでしょうか?

どうして統合されるのかはともかく、私たちは毎日、その経験は経てきています。テレビに注意を向ければ、テレビは視覚の中心にくるし、テレビから発せられる言葉の意味が、にわかに鮮明になります。

ふつう、同時に別の視覚情報を視界の中心に置くことはできません。テレビを見ているのと完全に同時に、娘の顔を視界の中心にはおけません。それをやると像が重なりますし、「意味」がつかみにくくなります。

ほとんどの場合、視界の中心に来ているものと、聴覚注意が集中する対象と、意識が焦点を合わせている対象とは、一致します。注意を切り替えるということは、この注意対象中心に組み立てられている意識を、いったん壊して、再構築することなのです。

そしてそれは、面倒くさく感じられるのです。

壊して組み立てるのが面倒くさいのであって、面倒くさいことが面倒くさいわけではないことが多い

やってみると思ったほど大変じゃなかった、ということは多いものです。もちろん例画はあります。

たとえば、野球中継をみている真っ最中に、ゴミを出しに行くのは面倒くさいものです。しかし、本屋に行くついでにゴミを出すことは、準備さえしてあればそれほどでもありません

行動、気分、知覚、これから知覚するものの予期、運動の準備、その他意識を構成するものは、たぶん絶え間なく統合に向かっています。だから、集中を妨げられる度合いがひどいほど、人は腹を立てるし、何かに集中するのが難しい人の集中を妨げたときほど、相手の怒りを買います。

私自身のことを考えても、娘が泣きわめいて一瞬でも腹が立つのは、原稿に意識が集中しているときです。それに対して、やっと立ち上がったと思ったとたん、バタッと倒れてカベに頭を打ち付けたのを見た次の瞬間の号泣には、まったく腹が立ちません。泣き顔を見ることに意識が向かっているからです。

何かをやらなければならないけど、面倒くさい。
そう思ったら、やらなければならないことに、意識のピントをあわせることです。