心理ハック
時間とタスクのデザイン
タスクシュートは予定表ではない
やや書き飽きてきましたが、前回、福岡でセミナーした際にも、この種のご質問を盛んにいただきました。「予定表通りの人生なんて・・・」というわけです。
タスクシュートは、予定表のように見えますが、予定表ではありません。次の2〜3時間の使い方を、イメージするためのツールです。イメージしたからといって、その通りに時間を使えるというものでもありません。そのことを理解するためのツールでもあります。
たとえば、午前10時からお昼までの2時間に、本を書くための原稿を2本書こうとしていたとします。お昼までに原稿を1時間ずつ使って2本書けば、その日のシゴトは90%が終わったも同然です。
こういうことを昔は本気でやろうとしていて、100日に1日くらいしか成功していませんでした。あるいは、その100日に1日の「成功」のために、99日を無駄にしていました。今では決してこういうことはしません。午前の10時30分から原稿を1時間書いたら、つぎに原稿を書けるのは、せいぜい夕方の16時です。
タスクシュートを使っていれば、こういうことが即座にわかるようになります。私は以前このことが、10年以上もわからずに生きてきました。
朝、お風呂に入るなら・・・
すべての行動記録がそうであるように、私のタスクシュートには、朝から晩まで、びっしりと行動が詰まっています。「昼寝」という行動でも入力するのですから当然です。
理論上、1時間に1本書ける原稿であれば、2本を2時間に詰めることは可能です。問題があるのは、その「風景」なのです。それはおぞましい風景です。風景を変えてあげる必要があるのです。
たとえば、これを、「朝は娘と1時間デートしてから、1時間お風呂に入る」としてみます。行動は同じ2つで予測時間も2時間ですが、圧倒的に楽になります。実にアマアマな風景です。しかし午前中をこんなふうにデザインしたら、夕方以後に何が起こるか、想像するだけでも恐ろしくなります。
タスクシュートを使って朝一番にやることは、1日の予定を立てることではなく、1日のどの2時間をとっても、おぞましくない風景にデザインすることです。その際の最低条件は、最低限度やるべきことは1日の中でやるようにする。
最低限度やるべきこととは、「娘を風呂に入れる」とか「3回食事をとる」とか「歯を磨く」とか「原稿を1本は書く」とか「灯油を買いに行く」といったことです。
「そんなふうにしなくても、やるべきことをやってから、残った時間を好きなように使えばいい」といわれるのですが、なかなか時間が残らないのです。これは、以前からそうでしたが、娘が生まれてから、一気に深刻になりました。今もし、「残った時間で娘を風呂に入れる」なんてことをしていたら、深刻な夫婦喧嘩になっているでしょう。
当たり前なことかもしれませんが、娘が生まれてほぼ1年1ヶ月、娘の病気と、私の出張をのぞけば、風呂に毎日私が入れています。1日も欠かすことはなく、その間も原稿はほぼ毎日書いています。ブログは少し落とすこともありますが、シゴタノ!やITメディアの記事は落としていないと思いますし、セミナーの準備も自分では納得がいくようにできています。
これはどう見ても私の性格や能力のおかげではなく、タスクシュートによって可能になっていることです。この2時間、次の2時間、その次の2時間、その次の次の2時間を、十分耐えうる厳しさにデザインしておくことによって、妻と深刻なけんかをしないですんでいます。
もちろんデザインは完璧ではないので、「この2時間でメール返信したら疲れてしまって、もう原稿を書く気になれそうもない」と思うこともあります。そうしたら行動記録を読んで、「どの2時間で原稿をよく書けているか?」を探します。それを見つけたら、新しい「2時間枠」の中から、「今やれそうなタスクを1時間分」トレードします。
たとえばツイッター10分に、Evernoteの整理5分、それと請求書書き5分に、読書15分。といった具合に、「今やることを気持ちが同意しそうな60分のセット」を見繕うわけです。うまく「夕方16時から18時の2時間枠」に1時間分の空きができたら、そこへ「原稿1時間」を送ります。
ところでその場合、「16時から18時の2時間枠」の、もう1時間分が「ブログ原稿1時間」であってはダメなのです。そんなことは私には不可能です。そこでその時間は、できれば娘と風呂に入ることにしたくなります。そこで妻に、「今日はこの時間でお風呂でいい?」と尋ねるわけです。
タスクシュートは予定表ではありません。予定をも組み込んで、「時間の風景」をデザインするためのものです。