ライフハック心理学

心理ハック

018 想像力を使って気分を変えることはできる?

音もなく光もないところで皮膚感覚さえ剥奪されると、人の想像は異様にたくましくなる。その結果として、少数ながら「天国」を見る人と、その逆に「地獄」を見る人とに、分かれてしまうらしいという話を最初に知ったのはたぶん小学校6年生の頃でした。もっとも今から振り返ると先生もよくガセビアを飛ばしていたからあれもそうだったかもしれません。

こういうことが起きるのは、「眼」から入ってくるはずの情報処理が、「脳」の仕事の1つだからです。情報がなくなっても、「脳」の処理は続きます。

「ブラック・ルーム」はいわば、目覚めながら夢を見るための部屋のようなものです。外部の刺激が欠けているので、その夢の内容は、私たちの精神状態や私たちの性格に非常に影響されやすいらしいのです。悲観的な性格だったり気分が悪かったりすると、眼前に現実のなにかがあればいいのですが、全く何もないので「何か悪いもの」を見たりすることもあるのです。

留学当時の私は次のように考えました。「ブラック・ルーム」の中では、想像力が普段の環境よりも容易に活用できるはず。ならば、容易に活用した想像力によって自分の気分を変えるのも容易ではないか?「ブラック・ルーム」に入れられると、悪夢や天国を見てしまうというが、それほどに極端な環境なら自分でそれをコントロールして悪いはずはない。「何か」が見えてくるまで、待つことはない。

これが私の、アメリカ留学中の卒業論文のテーマでした。アメリカの大学生四十人を被験者としてこの実験をしました。暗闇を作るのは簡単でしたが、厄介なのは「無音状態」です。地下の静寂な一室を借り切り、BOSE社の無音状態を作り出せるヘッドホン(ノイズキャンセリング)を耳にかけさせることで達成しました。

学生に英語で「イメージ」というと何をイメージするかわかったものではないので、「記憶」をたどってもらうことにしました。上述のように疑似無音・無光状態に被験者を置き「最善の思い出と、最悪の思い出」を五分間、それぞれ思い起こしてもらいました。そして別の被験者たちを対照実験のために音と光の存在する、普通の状態でやはり五分間「最善の思い出と最悪の思い出」をたどってもらったわけす。

仕上げとして、彼らの「気分の変化」を心理質問によって統計処理しました。この辺は技術的すぎて面白くないので省きますが、結果は私自身が驚くほど劇的なもので、人はただ想像力を使うだけのことで自分の気分をよくすることも悪くすることも、自由自在にできるようでした。特に「ブラック・ルーム」の中での効果は抜群で「悪い思い出」の後ではしばしば泣き出す学生もでたほどでした。(これは完全に、想定外。ある意味でとても困った結果です。40人中1名でしたが)。

指導教官に指摘された問題はこの方法が、はたして鬱病や気分障害といった心の病気を治療するにいくらかでも有効かどうかでしたが、それは私にはわかりません。いちばんの問題は、人は「よい気分をもたらす体験」よりも「悪い気分をもたらす体験」の影響下に、はまりやすいことです。この理由は納得いくものです。基本的に、人間は生物なので、「危険」に対処しなければならないからです。危険の方が「天国」よりも注意を引きやすい。というのも「天国」なしでも生物は生きていけますが、「危険」を無視し続ければすぐに死んでしまうからです。

卑近な例で言えば、高級なフィレ肉と安いバラ肉のどちらを選ぶかは趣味と経済の問題でしょうが、安いバラ肉と腐った肉の区別は重大です。ですから、「鬱病」や「気分障害」の人が、「想像の羽を羽ばたかせて天国に行ったりするわけにはいかない!」と主張するのは、それなりに理に叶ったことなのです。

「よい思い出なんかなかった」と言う人もいるでしょう。(作ってしまっても、いいのですが)。また現実に次のように言う人がいたのですが、「良い思い出も、後から考えてみれば、悪い出来事だった」と言う人は、もっと多いかもしれません。良い気分だろうと、ポジティブな発想だろうと、それを押しつけることは、どうやってもできないわけです。

病気であり続けようとする人を(それがすなわち病気だとも言えるのですが)、ムリヤリ病気から引きはがす(あるいは、一種の誘導によって引き離す)のが、心理療法家という人のやっていることだと私には見えるのですが、これには肉体的な医家の苦労とは、また違った苦労であることでしょう。