ライフハック心理学

心理ハック

043 等身大の自分を出し続ける

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過度に自己愛的でない限り、私達は等身大の自分のアウトプットに、なかなか満足が行かないようにできているようです。セミナーなどで撮影された自分の動画を2時間も観る不幸に恵まれると、文字通り痛いほどよく分かります。

しかし「アウトプットで食べている人」がよく言っているように、「十分満足いく作品を作ってから世に問う」とか「十分に満足いくほど自分を磨いてから出す」という考え方は報われないと思います。それではいつまでたっても何も出せないことになります。

結局ね、自分では50〜60点のできくらいで完成させて、送っちゃえばいいんですよ。なんでかって言うと、自分で「100点に近づけた」と思えたマンガでも、所詮最初に描いたマンガなんて、人から見ればショボイものなんです。(151)

もちろんだからと言って「100点を目指す必要はない」ということにはならないでしょう。そこが難しいところですが、ほとんどすべての人の自らに課す基準は、実現できるレベルより数段上です。

千差万別な個性の中で、時々ほぼすべての人に共通する心理があるのは興味深いものですが、「影のナルシズム」も大半の人に共通している面白い心理現象です。(関係ありませんが、かなり寛容で忍耐強い人すら交通渋滞を嫌悪するのも、人間の面白い共通心理です)。

100点に届かなくても「60点」が変化する


同名のタイトルにもあるとおり「幸せはいつもちょっと先にある」ものです。ナルシズムを完全に満たし得ないという意味でそれは少し悲しいことかもしれません。またこのケースにおいてナルシズムと完璧主義がほぼ同じ意味になっている点も要注目です。

しかし、救いはあります。100点を目指し続けるのではなく、60点を出し続けるところに救いがあるのです。

だから、50〜60点の出来でも、ずっと描いていけば、最初に描いた60点と、どんどん描いた後の60点では、絶対クオリティが違うはずなんです。

これを素直にとらえてみることが非常に大事です。こういうのを読むとどうしても「引っかかり」を感じてしまって、余計なことを付け加えがちです。その分身重になってしまいには身動きがとれなくなるのです。

マンガだろうと小説だろうとビジネス書だろうと哲学的断片だろうと芸術作品だろうと、人は自分にとって興味ある部分しか受信しないものです。

「発信者が自分のダメさ加減を十二分に自覚しているかどうか」とか、「反省すべき点をしっかり反省しているかどうか」などといったことは、実はどうでもいいことです。面白くないものを受け取ったとき、発信者が海より深く反省していたからといって、その分うれしくなどなりません。

シビアな話ではありません。単純な話なのです。