心理ハック
002 ナイーブ・シニシズムの心理実験
が、他人は自分に比べると、自己中心的であることに比較的(自分と比較して)無自覚だと思える。「人は私ほど寛大じゃないからね。私は自分が自己中心的だって気づいているけど」と思ってしまう。これをナイーブ・シニシズムというわけです。
社会心理学の実験によると、実際にはそんなことはありません。つまり、こう思っていることすらお互い様なのです。
昨日このようなことを書きましたが、ここで行われた「社会心理学の実験」というのは次のようなもの(和文)でした。
実験参加者たちは、2人が共同でポイントを稼ぐテレビゲームをさせられます。ゲーム後2人の「協力者」は、互いのゲームに対する「貢献度」と「ミスへの責任レベル」を評価し合うというものです。点数はいずれも100点満点。
もしも互いの「貢献度」や「責任」がきわめて妥当なものであれば、それぞれの評価を足した数字はいずれも「100」になるはずです。
たとえば私と妻が協力し合ってゲームしたとき、私が「自分は60点くらいゲームに貢献し、妻は40点くらいだろう」と思ったら「60」とします。そして妻もたしかにそう感じていれば「40」とするでしょう。足してちょうど100になります。
もし私も妻も自分のことを謙遜して評価していると、「私は40点で妻は60点くらいかな」と思い、妻もまた「自分は40点くらい」と思うことになります。この場合足しても80であり100に届きません。
このように、貢献度を足して100を割ったという組み合わせが多いとなると、人々の自己評価は「有意に低かった」と社会心理学的には言えることになります。
結果はどうだったかといえば、「貢献度」に関しては100をわずかに下回った程度で、きわめて100に近かったのです。つまり人々が協力した際、「自分がどのくらい貢献したか?」ということについての感覚は、主観的にも客観的にも妥当なレベルに落ち着くと、この実験からは言えそうです。
さて次は「責任度」です。この場合はミスに対する責任のレベルですから、お互いが「自分は悪くない」と思えば思うほど、100を下回ります。お互いが「自己責任レベル20点」と思えば、足して40点にしかならず、その分相手が悪いと思い合っていることになります。
実験の結果は、100点をだいぶ上回りました。つまりお互いが「自分の方がミスをした」と思い合ったということになります。ここまでは見知らぬ他人のことが好きになれそうな結果ですね。
さて、本当に面白いのはここからです。
今度は実験参加者に、「相手がするであろう自己評価」を推測しあってもらいました。方式はまったく同じく100点満点です。つまり自分の貢献度を自分で評価するのではなく、相手のする自己評価を推測し合うのです。
具体的に説明すれば簡単な話です。先ほどと同じくゲームをするのが私と妻だとします。ゲーム後、妻は自分の「ゲームへの貢献度を何点にするか?」と私が推測してみるわけです。
私としては「せいぜい50対50といったところ」と思っていたとしましょう。「しかし妻はちょっとうぬぼれていて私を低く見積もりそうだから、妻60で私40とするに違いない」などと推測します。そして妻もまったく同じように推測すると、両者の合計は100を超えてしまいます。
つまりこの場合に100点を超えるということは、「人は自分のことを過大評価しがちだ」と他人について推測してしまうという意味にになるのです。結果は実際その通りでした。推測した貢献度の評価は100を有意に超えたのです。
次は責任レベルですが、そろそろわかってきましたか? 実験の結果では100を大きく下回りました。私と妻の例をとれば、私は妻が私に責任を押しつけるに違いない、と推測したことになったわけです。
以上をグラフに示すと以下のようになります。
これはなかなか簡単な実験のわりに、興味深い結果をはじき出しています。自己評価と、相手の評価の推測では、貢献でも責任でも逆の結果になっています。
つまり自分は自分のことを過大に評価しないのに、相手はそうするとみんな思ってしまうわけです。そして、自分は他人に責任を押しつけないのに、相手はそうするとみんな思っているわけです。