心理ハック
008 使いやすい道具と使いにくい道具
インターフェースが優れいているかそうでないかということは確かにあります。たしかにありますが、これは一口に言い切れるほど単純な問題ではありません。
しばしばタスクシュートのような「複雑な」ツールを使おうという人を揶揄して「冷蔵庫のマグネットの方が使いやすいし十分役立つ」という意見が聞かれます。
この意見は、自動車免許を取ろうという人を揶揄して、自転車の利点を強調することと似ています。そこにウソはないのですが、物足りないのです。
生まれながら誰にでも使える道具というのはほとんど何もない
ジーン・ピアジェという発達心理学の巨匠が「同化と調節」という概念を発表したのはずいぶん昔のことです。直感的に使える道具と訓練が必要な道具というのは、この概念を思わせます。
道具は直感的に使えた方がいいに決まっています。しかし最初から直感的に使える道具というのはまずないのです。ピアジェに対しても初期のころから様々な批判が寄せられました。(たとえばU・ナイサーの『認知の構図』を参照)。
私の娘もいまだにコップが満足に使えるとは言い難い有様です。コップで水を飲むなど誰でも簡単にできると思ってしまいがちですが、それだって訓練のたまものです。
「英語なんか勉強しなくても、日本語なら直感的に使えるし、それで十分生きていける」というのはだいたいのところそうでしょう。でも日本語も直感的に生まれながらにして使いこなせているわけではないのです。少し思い起こせば、「国語」とか「漢字」とかで苦労した経験をお持ちのはずです。江戸時代までさかのぼれば、漢字の読めなかった人はたくさんいたのです。
要するにツールというのはそもそも「調節」によってしか使えないものなのです。「同化」できるように思えるのは、「調節」の苦労を忘れているだけです。自転車に乗るには苦労したはずなのですが、その苦労は忘れているわけです。
iPadは「使えない」でしょうか? Evernoteは「複雑すぎ」ますか? Omnifocusは「よくわからない」ですか? タスクシュートは「とてもムリ」ですか?
おそらくそうでしょう。それはインターフェースが「狂っている」せいではなく、「ムリヤリ使おうとしているから」でもなく、「調節しようとしていない」からです。繰り返しますが「直感的にすぐ」使えるツールについては、過去「調節した」苦労を忘れているのです。
ですからどんなツールに自分を調節するかは、よくよく検討して選択しなければならないわけです。「調節しないと使えないじゃないか」という批判たぶん筋違いというものです。
「タッチタイプ」という「調節」はおそらく、できるようになれば「十分苦労する甲斐があった」と思うでしょう。なかなかできるようにならない人が「紙に手で書いた方がよっぽど早いじゃないか」と言っていたら、「そうだとしても物足りない」と思われるはずです。