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心理ハック

渇望する一時的なつらさを乗り越えるべき合理的な理由

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ちょっとわかりにくい写真なのですが、よくドラマなどで耳にする「禁断症状」のつらさの原因を教えてくれる写真です。

黒いギザギザしたのはニューロンなのですが「コカイン」の方がよりギザギザしているのが分かりますでしょうか?

これは「コカイン」の「依存症」になっているとき、ニューロンがより「アンテナを立てた」状態になっているのです。ここの表現が難しいのですが一般的な用語に置き換えたとき私にとって一番しっくりくるのが「アンテナの立った状態」なのです。

外部からの刺激により過敏になっていると言ったらいいでしょうか。

私自身に薬物中毒の経験はありません。しかしある種の快感に慣れてしまって、それをしばらく中断した後「久しぶりにあの快感を」と求める強さはいくらか経験があります。

たとえば私は「断糖」していますが、一時期「砂糖の入ったものなら何でもいいから欲しい」と切望した時期がありました。こういう時私の脳内ニューロンのどれかが冒頭の写真のように、ひどくギザギザしていただろうことは容易に想像できます。

「ギザギザ」は写真にも撮れます。つまり客観的な事象です。しかし私の心の中の「渇望のつらさ」は写真には写りません。それはいわばクオリアです。クオリアの描写は私のような素人向きではなく小説家などにお願いするべきですが「砂糖をとれないなら生きている意味などない!」といったところです。

しかしこの感覚は極めて一時的なものに過ぎないのです。たしかに砂糖に餓えかついているときに水飴をなめると「これがなくてなんで生きていけよう!」とわけのわからない感慨に浸ったりするのですが、実際には脳内の「報酬系」が激しく活動しているに過ぎません。

もちろん「報酬系」が激しく活動するからこそ私達は何かを「強く求める」のですが、これは決して「人生の意味」というようなものとは言えず、ほとんど「からくり」に過ぎないのです。

このところの解釈については議論の余地があるでしょう。私にはこれはあくまで「生命体に個体を維持させるためのからくり」であり、その「副作用」としての強烈な満足感と思えるのです。いわゆるオーガズムもその一種です。ただしあれは「種族の維持」のためのからくりですが。