心理ハック
心を見る機械
私が自分の目で見て脳で感じたことを選手に伝えたとき、私の言葉を選手はどうとらえ、どう感じたのか。それが私に分かるような機械はできないものかと考えたのだ。そうすれば、次々と選手の技術力を高めることはできるのに……。現実的には、そんな機械ができるはずはない。つまり、私が伝えたことを選手はどうとらえたのか、私が知ることはできない。(p147)
こういう発想はとても面白いと思った。このような「機械」を欲しがるということは、少なくとも落合元監督は常々「自分の言っていることは相手には伝わっていない」と感じていたわけだ。そして「言っていることがそのまま伝われば選手の技術力を次々と高められる」という自信ともどかしさを抱いていたということになる。
実際に元監督が考えていたことは、それよりも少しまどろっこしい。ダイレクトに、つまりテレパシーのように言ったことを伝えたいというわけではない。そういう機械が欲しいのではなく「自分の言ったことをどう受け止めたか」を客観的に知りたいということなのだ。
誤解されていたらどう誤解されたか、曲解されたならどう曲解されたのか、それを誤解された側が知りたいというのだ。
ある程度までならブログのようなものがこの「機械」の代わりになりそうだ。少なくとも自分が伝えようとした「技術」をテーマに絞れば「明らかに誤解している」くらいは分かるだろう。
隠したりウソをついたりできると言われるかもしれないが、モチベーションはこの場合「理解した」と表明する方に向かうはずだから隠すのもウソをつくのもメリットには感じられないだろう。むしろ「理解した」と表明したその表明が誤解であったことをあからさまにすることのほうが起こりやすい。
このようなブログの使い方は自分のみを読者と想定しても可能である。もちろん読者が「監督」のほうが効果的かもしれないが「自分の心理」を赤裸々に、冒頭で引用した「機械」のような形式で表現されたら、さぞ自分を驚かせ、役に立つにちがない。