心理ハック
停滞を無為といってそれを嫌う人間という動物
一日単位で考えたら、誤差のような時間なのに。
信号無視して稼いだその1分で、いったい何をしようというのだろう。
平気で十数分布団の中に潜ってしまうくせに。理由はいくつかあって、
・目的に向かう行動を邪魔されさくない
・無意味な時間を過ごしたくない
「ネオフィリア」という造語がある。このネタで本を3冊くらい書いているが、まだ掘り尽くせていない感覚が残っている。残念とはこういう感覚のことを言うのだろうか。
人間は一般に「展開」を好む。「目的に向かう行動を邪魔されたくない」と「無意味な時間を過ごしたくない」はとてもよく似ている。どちらも無為を厭っているようだ。
『ネオフィリア』を書いた生物学者のライアル・ワトソンは虎がネオイリフィリックでライオンはそうではないと述べた。今度動物園に行く機会があったら、ライオンというのは見ていて退屈な一方、虎というのは実に落ち着きがないという違いがあることを発見するかもしれない。
人はこの点虎に似ている。じっとしているのが苦手である。「個人差がある」というのは心理学者の常套句だが、「渋滞を嫌う」点について個人差はとても小さいと私は常々思っている。なぜ人はああまで渋滞がきらいなのだろうか。
慣性の法則というのはこの文脈ではおかしいが、ついそういう言葉を作り出したくなる。心の慣性の法則というような概念がよぎる。人は展開している感じを抱き続けるのを好むようだ。時速120㎞くらいでなにもない道路をすっ飛ばしたら気持ちいいのではないだろうか。
これは「目的に向かう行動」ではないと思う。爽快感は「すっ飛ばしている」真っ最中に得られるものであって、その目的地はどうでも良い。個人的には熱海の方が草津温泉より好きだが、すっ飛ばす最中の快感と目的地とは関係ない。
「展開を好む」というのは人の娯楽全体に現れている。「無為」の代表例のように言われてきたテレビ・ゲームでも展開を提供し続ける。シューティング・ゲーム辺りが好適例だ。マンガでも小説でも展開が大事である。瞑想は娯楽にならない。
人間は「肉体でいつもできること」の感覚を越えたいという欲求を常に持っている気がする。(虎もこれを持っているのだろうか?)。子供だましのようだし夢物語のようでもあるが、仕事中にF1レーサーになった感覚を疑似体験できれば、プロジェクトの目的いかんによらずワクワク感が得られるのではないだろうか。
あるいはもう少し「大人な」人に向けて、着々と仕事が進行している感じを体感できるようなフィードバックが工夫できれば。