心理ハック
「記録すること」が何をそんなにもたらすというのか?
私達は自分自身の中をのぞき込むと、そこには妙に空っぽで「全くなにもない」ように感じる傾向があるようだ。昨夜の餃子が妙に悪臭を放ちながら胃の中にどっしりしているというようなのを除けば。これは人間(に限らないかもしれないが)心理の不思議の1つだと思う。
昨日のエントリの続きなのであるが、『ノマドワーカーという生き方』を読んでいくつか妙な違和感を覚えて、それで思い出したのである。たとえばこんな下りがあった。
なんといっても勝間和代さん、そして小飼弾さん辺りが有名ですが、他にもちきりんさん、田口元さん、堀正岳さん、大橋悦夫さん、佐々木正悟さんなど、たくさんの成功者の方々がいらっしゃいます。(36)
ここに自分がいるのはいかにも変だと思った。でもなぜそう思ったのかというと、要するに「自分だから」なのだ。自分の持ち物はみすぼらしく見える。自分の能力も同じ。みんながみんなそうではないかもしれないが、そう感じてしまう人は少なくない。著者自身がそういう心情を冒頭から述べている。
華やかなノマドを実践している方々もいる一方で、資産家でもなく特殊技能も持たない、ごくふつうのサラリーマンだった僕のような人間も、都内を地味に移動しながら活動しています。(4)太字は佐々木
そう言えば私はずっと以前からこの「心理」に強い興味を持っていた。なぜだろう。なぜ「隣の花は赤い」のだろう。他者性(otherness)はなぜ自己より優位に感じられてしまうのか。
不安なのは「自分は他人ではないから」
なんだか他人は力を持っていて、自分より偉くて、うまいこと行きそうに見えるのである。ここまで感じる私は少し「自己イメージが低すぎる(カウンセリングを受けて下さい)」のかもしれないが、自己啓発系の本をひもとくと何かと「大丈夫、あなたならやれる!(私が誰かを知りもしないくせに)」と激励しまくってくれるところからして、人は「いざとなると自分に不安を」もちやすいのだろうと思う。
フリーランスとして生きていこうと思ったら、この不安に対しては、具体的かつ組織的な抵抗を断続的に試みるのが現実的だと思った。「本当の自信をつける」とか「後悔しないためにも勇気をもって一歩を踏み出す」といった抽象的な表現が自分の役に立ったためしは極めて少ない。断続的な抵抗の1つが「事細かな記録を不安対象について残し、シミュレートを立てまくる」ことだ。
「独立」する巨大な不安要因は、「金が尽きる」ことである。なぜかことなるあいまいな表現が散見されるわりに「経済的不安」そのものが遡上に上ることが少ないのは不可解きわまりない。誰も金のことばかり口にしたり不安に思ったりしたくないに決まっているが、一生食うに困らない蓄えがあるのなら、少なくともフリーランスになることをそう不安視する理由もなくなるはずだ。
だから私は「金がゼロになる」月日をリアルタイムに把握できるようにしている。記録を詳細につける第一の目的はこれである。あらゆる仕事に費やせる時間がゼロになるタイミングも、個々のプロジェクトについてタスクシュートをはじめとするツール類を駆使して、リアルタイムに把握できるようにしてある。
いささか面倒な作業であることは認めるが、それこそ「特殊技能」はまるで必要ない。とにかく記録し、勝手に自動計算させればほぼ確実なところを算出できる。あえて必要な能力というならまめに数字を入力できればいい。
どんなに詳細な記録があろうと、精度の高いシミュレーションができようと、不安が消えてなくなるわけではない。お金は確実にゼロになる日がやってくる。収入がなければそうなる。〆切も必ずやってくる。
ただそれは明日すぐにはやってこない。シミュレート精度に信頼がおけるなら、デッドラインはかなり先だ。この種の、自分に関する客観的情報をたくさん自分に与えられれば、「自分」はそれなりの対策を考え出してくれる。他人が頼れないなら、自分を頼りにするしかないのだが、その時必要なのは自分に正確な情報を与え続けるということであり、そのために日々蓄積すべきは記録なのだ。
こういうことを私に「不安と闘う手段として」教えてくれたのがシゴタノ!の大橋悦夫さんで彼は酩酊しても「後悔しないために思い切ってやってみるべき」とか「天佑を確信して突撃せよ」とは言い出さない。常に具体的なアドバイスをくれた。彼がいなければ私は不安と格闘する手段を持ち得ていないので、おそらく今ごろ日本にいなかったろう。
もう一人ほぼ同じような手法を、少し違ったツールと考え方で私に教えてくれたのがStrategy for Simple Lifeの富さやかさんで、彼女がいなければ次の本は出ていなかった。これに書いた事は「私をのぞいたときそこにはなにもない」という思いに苦しむ前に、「そこにこれだけのものがある」ようにしておくべきだということである。
実際共著で富さんと本を出すあたりから、ことさら詳細にライフログを残す習慣が確立し、少なくとも今は「資産家でもなく特殊技能も持たない、ごくふつうの自分」とくらいは思えるようになった。それ以上にことさら自虐的でなくなりつつあるわけで、それだけでも大変気楽になれている。