心理ハック
夢見る昼寝で気分スッキリ?
結局のところ人はなんのために夢を見るのかについてはまだ諸説が分かれています。
分からないことについてはたちまちスピリチュアルが顔をのぞかせてきますので、意外と役に立つこととしては、「内省してみること」です。
つまり自分の心の中で反芻してみるというわけですが、もちろん「科学の時代」に「内省」は評判が悪い。本人が何をしているのか外からはなにも分からないからいくらだって嘘の報告ができて、信憑性がないわけです。
しかし心理的な問題ほど「なんと言われようと本人が感じていることこそ真実」でもあります。夢は余地だと言われても私は夢で何かを予見できたことはないし、夢は性欲の変装だと言われても、よほど無理な解釈をしない限りどう見ても性欲となんの関係もない夢もたくさん見ているわけです。
最近になって、1つ個人的には納得できるような気がしてきた知見があります。知見そのものはつい最近の論文ではありませんが(でも新しい)、自分の経験としての「夢」の効用はこれではないかと感じられるのです。
それは「気分のスッキリ感」です。
夢睡眠は深いのか浅いのか?
世の人というのは経験則に基づいているのか、面白いことを言います。たとえば私が「昨日見た夢のことは妙にはっきり憶えている」というと、「眠りが浅かったんじゃないの?うるさかったの?」などと言われます。
つまり「夢を見ているということは浅い眠りだ」という判断なのです。これはほぼ事実で、REM睡眠は比較的浅いレベルの眠りだとされます。
でもこれが会社でつい寝入ってしまって「夢を見ていた」などと言うと笑われます。「そんなにぐっすり眠るなんて、ずいぶん疲れてるんだね」くらいは言われるでしょう。この場合には「夢見る眠り」は「深い眠り」と言われるのです。
もちろんこれは相対的な位置づけなのでしょう。会社では「うとうと」することがあるにしても「夢を見るをほど深く寝るものではない」からです。ということは「夢睡眠は浅い眠りであるけれど、それよりもなお浅い、夢を見ない眠りがある」ということを人は経験しているのです。
そんなうとうとではなくて、うとうとよりは「深い」夢睡眠には、昼寝でわりと簡単に入れるということが最近よく分かってきました。つまり私は最近昼寝でよく夢を見ているのですが、この時間はだいたい16分くらいで、起きた直後非常にスッキリしているのです。
この夢睡眠後のスッキリ感は、神経伝達物質の受容体が夢睡眠中に休息するという知見で説明できるようなのです。この辺はちょっと複雑な説明が必要になるのですが、夢を見ていない眠りの最中にはその種の受容体の休息は起こらないため、気分のスッキリ感にはつながらないというわけです。
睡眠時間は十分にとっていて、身体的な疲れはとれているはずなのに、気分がスッキリしないときは「夢見」がたりないのかもしれないとあたりをつけることができるというわけです。