ライフハック心理学

心理ハック

想像力で行動すべきできないとき


最近よく読んでいるブロガーによるこのつぶやきに触発されましたので記事にします。ただここで私が取り上げたいのはコンプレックスの話でもSNSのことでもなく、タスク管理の話です。

上記引用とタスク管理になんの関係があるのか?
「想像力」の厄介さとコントロールの問題としてみると関係があるのです。

このブログではしょっちゅう引用している『幸せはいつもちょっと先にある』を開くと、いかに私達が想像というものに振り回されているかについての事例が、過剰に盛り込まれています。読者のほとんどはうんざりしてしまうでしょう。タイトルがそもそもそうですし、表紙の絵もまたそうです。

このチョウチョを追っかけさせ続けることこそ「想像力」というものの本来の機能ではないかと、私はよく思っています。著者のダニエル・ギルバートも指摘しているとおり、想像する内容というのは間違って楽観的か、間違って悲観的かのどちらかになりがちです。理性で修正してやらないとなかなか「ほどよい」ところに収まってくれません。

しかし過度に楽観的であることは、行動を促せます。誘われなかった飲み会はきっととても楽しかったものだと「想像させる」ことで、脳は人をして飲み会に向かわせられるのです。近くの客がタバコの煙をモウモウさせていることとか、あまり面白い話でもないのを延々聞かされ続けてグッタリするかもしれないとか、悪酔いして2〜3日ひどい目に遭うかもしれないようなことは(十分想定できるはずなのに)、想像からバッサリ切り捨てられます。

(これと関連して、「うつ傾向の人ほど未来を正しく予測できる」という調査がありました。なるほど私は「千葉ロッテマリーンズは今日も快勝するだろう」と愚かにも考えがちですが、うつ傾向のロッテファンであれば「今日の相手の先発予告はまーくんで、ロッテはエースが肘を痛めているんだから、きっと負けるよ」と「正しく」予測してくれるでしょう)。

同じように想像はしばしば過剰に悲観的になることで、私達に行動を促します。最近お腹に少し違和感がある。もしかして胃ガンかもしれない。コーヒー飲みすぎているし・・・(いいかげんな記憶と身元不明の健康情報)。というわけで人は「人間ドックにいって検査する」というような面倒ごとに着手できるわけです。

この想像力を駆使する脳のやり方は理に叶っていますが、ちょっと考えてみるだけでも相当不備があることに気づきます。

まず「何事も楽観的に想像する」やり方で、その未来に向かわせようとするわけですが、同時に先送りを多発させます。未来がそんなにバラ色なら、なにも今面倒な仕事をしなくても良い、ということになるからです。この発想はタスク管理の大敵です。

次に「何事も過度に悲観的に想像する」やり方は、合理的には行動を起こすことにつながるはずですが、おびえさせて行動にブレーキをかけさせかねません。C1にもなっていない人が「神経を抜かれるかも」と心配して歯医者に行かなくなるようなことはしょっちゅう起こります。放って置いてもよくならないので合理的には行動を起こすべきですが、あんまりひどい目に遭うくらいなら、人はもう放っておきたくなってしまうのです。

これもタスク管理的には非常に好ましくありません。しかし頻繁に生じています。「このままではもう間に合いそうにないあああ〜」といって時間を無駄にしていくのです。合理的にはとにかく仕事を進めるべきですが、人は想像される惨事に注意を奪われて仕事が手に付かなくなっていくのです。

何らかの「瞑想トレーニング」のようなものを受けた人は知っているとおり、この種の「間違った想像」をやめることは心を鎮めることに役立ちます。しかしこれがけっこう難しい。ある調査によると、平均的な人は1日の12%をこの種の思考に費やしているそうで、少なく見積もっても毎日1時間はこういう「想像」をしてしまうのが人間なのです。

私は瞑想トレーニングを奨める立場にはなく、自分でもやっていません。私は代わりにもっぱら「タスク管理」に精を出しています。想像する代わりにシミュレートし、想像する代わりにプロジェクトを管理する。そうしたとしても想像力で苦しむことを(行動に駆り立てられてもその行動がとれない苦しみ)0%にはできませんが、ずいぶん違います。

想像が始まってしまって「このままではあの書籍原稿が間に合わないし、週末家族サービスもしなくてはいけないのに、まだプレゼンの準備も終わってないぞ!」と脳内の血流が過剰に動き出したら、「タスク管理」に戻ります。「ここで原稿」「そこでプレゼン準備」「家族サービスの時間もとれなくはない」ということをエクセルで確認すれば、この種の想像をストップさせるために有効なデータを得ることができるからです。

たぶんこれは先の「瞑想」に近い効果を、「瞑想の達人」のようにはいきませんが、得ることにつながっています。