心理ハック
「初心を忘れないこと」はなぜ難しいのか?
それでもトムはなかなかうんと言いません。ついにベンのリンゴと引き替えに、イヤイヤ替わってやるという風にして、ペンキ塗りの仕事をまんまと押しつけてしまいます。
最後には、トムのペンキ塗りを「やらせてもらう」ために、村中の子供が列をなして、なにかしら「賄賂」をトムに送ることになるのです。
ずいぶん古い記事だ。これはこのブログが始まってまだ三つ目あたりの記事なのである。
トム・ソーヤーの壁塗りは、『冒険』の冒頭に登場する小話だが「ライフハック心理学」のコアになるエピソードと言っていい。知らないうちにやる気を出す。これができると人生なかなか楽しくなりそうである。
壁塗りのエピソードについては私も何度か解釈を試みている。セミナーなどで紹介もしている。しかしさすがにマーク・トゥエインに叶うはずもなく、私の解釈よりもこの小話の方に感心されてしまう。
懲りずにここでもう一度、解釈を試みる。
最近私は強く思うようになった。「やる気」とは不満の自覚によって高まるのだ。想像力で「あるべき姿をイメージする」という自己啓発的な方法論もまた、「あるべき姿に比して全く満足のいかない現在の自分」を自覚し、不満を抱くことになることを期待している。その不満が「あるべき自分へと向かわせる原動力」に火をつけるということだろう。
当然なかなかそううまくはいかない。コントロールして好きな夢の中に生きるという生き方にむしろ血道を上げてしまうのが人間の面白いところである。ここまでやれるなら結婚する方がずっと簡単なようにも思えるわけだが、とにかくやる気が現実の自己改革に向かわせるとは限らないのである。
しかしやる気が人をどんな方向へ向かわせるにせよ、やる気が不満の解消を目指すのはたしかである。トム・ソーヤは壁塗りをしたくなかったから、友だちをだますという一計を案じた。これは手の込んだ企画であり、やる気のたまものである。ムリヤリ壁塗りさせられるという不満をトムはこのような形で解消したのだ。
同じ壁塗りをトムの友だちがやる気になったのは、トムが壁塗りを「させてくれない」と思ったからである。彼らは壁塗りできないことが不満だったのだ。人はつまり不満のタネを見つければ、やる気に火が付いてしまうのだ。
本など書いたことがない人にしてみれば、〆切を守ろうとしない作家やマンガ家の姿に納得がいかないだろう。それは本を書けないという不満がもしかすると一生続くかもしれないと思うため、憤慨してモチベーションをとても高めているからである。しかし徹夜でマンガを書いているのに編集さんに叱られるマンガ家にしてみれば、不満は全く別のところにある。寝られさえすれば何を投げても惜しくないという気にもなるはずだ。つまり「寝るためのやる気」でいっぱいなのである。
かつてやろうと思ったこと—書籍原稿やブログ—を「やる気」が全くしないときには、不満のタネを探すことだ。本を書けばどんな不満が解消できると思ったのか。ブログを書けばどんな不満が解消できるはずなのか。アクセスアップすればどんな不満が満たされると思ったのか。最初に始めたときには何かあったはずである。
(下世話で申し訳ないが他にも結婚すればどんな不満が解消できるはずだったか。彼氏彼女ができればどんな不満が解消するはずであったか。覚えておくべきことは多い)。
残念ながらいくらか満足すると人は不満のタネを忘れる。つまりやる気を失う。忘れないようにするためにも、Evernoteに記録しておくべきなのであるが、記録してないなら仕方がないので今からでも最初のエントリを読んで、思い出すべきである。思い出せたらすぐにEvernoteに書いておく。ブログに書いてもいい。
それが初心を忘れないライフハックというものだろう。