心理ハック
コミュニケーションの外部性
経済学では、この副作用は「外部性」と呼ばれる。「ガソリンを買う」といった当初の決定の外側にあるものだからだ。(120)
昨日の記事にも書いたとおりで、この「外部性」を意識したために行動を先に送りたくなるという心情はしばしば発生します。
朝早く起きるのはいいのですが、娘が私の「騒音」によって目覚めると大変なことになるので、「早起き」事態を先送りしたくなるわけです。もちろん他の、早起きを避けたくなる要因はたくさんあるわけですから、その上こんな副作用があっては二度寝もしたくなるというものです。
ネガコメが付くのがいやでブログを書けなくなるという人はいるでしょうか? これはたくさんいるかも知れません。中にはブログ自体を閉鎖してしまう人もいます。
やや文脈から逸れますが、少なからぬネガコメは、「意図せざる副作用」のようなものです。本来読んで欲しいとは願わないところまでブログエントリが「届いてしまう」作用として発生するからです。
ではネガコメを付ける側から見るとどうでしょう? ネガコメをつけた人は、ブログが2度とアップされないことを「望んで」いるのでしょうか? ブロガーが心に深い傷を負い、テムズ川から身投げでもして、ブログが永遠にFreezeしてしまうのを見ることで、心の底から沸き上がるようなえもいわれぬ満足感を得るのでしょうか?
必ずしもそういう意図がなかったのに、自分が付けたコメントのためにブログを閉鎖に「追い込んで」しまったとしたら、これも一種の外部性と考えることができそうです。してみると外部性とはコミュニケーションにおいては誤解に近いものと言えそうです。